アパラ茶碗さんとモバ友になろう!
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- 2013/8/11 20:36
- カラスに憧れて仕方がない
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- 詰め込み教育は人間の感情を奪い機械へと変えるための通過儀礼だ。私はそれを自分の意思で放棄するべきだった。もう遅い。意識は混濁し、すらすら言葉は出てこない。何もかもがくだらなく見える。手をつないで歩く男女、子供の手を引く母親、肉をほおばるサラリーマン。それらすべてが空想世界の生き物のように見えるのだ。私とは一生縁のないだろう。ただ私にもまだ人間性は残っているらしい。人間性とは何か。それは人間らしさの尺度だ。人間性は子供の頃が最も高く年を重ねるごとに消耗していく。そして目の色は淀み、声はだんだん小さくなる。
私にはまだ気力が残っている。残りのエネルギーは生きるために使う。自分の生命を維持するために使う。そして子孫を残す。これが動物としてのあるべき姿だ。
今日空を舞う鳥たちを見た。大半はカラスで、残りはスズメなどの小さな鳥だ。私は中でもカラスに最も興味を惹かれた。鋭い口ばし、大きな羽、それは他の鳥よりも格好の良いものだった。勢いよく翼を動かせ、風を切る。美しいと思った。彼らには仕事はない。ただ飯を探すのが唯一の労働である。腹を満たせば、後はなにやってもいい。仲間たちとなにやら連絡を取り合い、近づいたり離れたりを繰り返しながら、空を舞う。遊んでいるかのようだった。
1羽のカラスがえさの様なものを下にいるカラスに落とした。それを下のカラスが口ばしでキャッチしたのは何よりの収穫だった。そこにコミュニティが実在することが証明された。彼らは同じようなサイズであったため親子ではないはずだ。とすると恋人同士かあるいは友人なのかもしれない。いずれにせよ、素敵な光景だった。
俺なんかよりぜんぜん豊かで実りのある人生を歩んでいるとわかった。
俺も本能を殺さずに生きるために、原初に帰ろう。ルソーの森へ帰れは決して大げさではないのだ。
文明が何を作った? 少数の富裕層と圧倒的多数の労働者だ。そして労働者は絶えず戦争の恐怖に怯える。
カラスは利口な生き物だ。えさの獲得は人間に任せている。敵もいない。
素晴らしい生き物だ。
- 詰め込み教育は人間の感情を奪い機械へと変えるための通過儀礼だ。私はそれを自分の意思で放棄するべきだった。もう遅い。意識は混濁し、すらすら言葉は出てこない。何もかもがくだらなく見える。手をつないで歩く男女、子供の手を引く母親、肉をほおばるサラリーマン。それらすべてが空想世界の生き物のように見えるのだ。私とは一生縁のないだろう。ただ私にもまだ人間性は残っているらしい。人間性とは何か。それは人間らしさの尺度だ。人間性は子供の頃が最も高く年を重ねるごとに消耗していく。そして目の色は淀み、声はだんだん小さくなる。