琉蓮☆さんとモバ友になろう!
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- 2011/3/29 13:29
- 自分めも
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- 「こだまでしょうか いいえ、誰でも」
この詩の最後
「いいえ、誰でも」
小さいとき私はこの意味がわからなかった。
私にとっては長い間違和感というか謎の一文という形で存在していた部分だ。
でも最近流れるACのCMで久しぶりに耳にしたとき理解できた。
なるほど、そういうことだったのか、と。
時が過ぎればどうにでもなると学んでしまったので、能動的に動くことがばかばかしく感じるんですよ。親との関わりはもう私の中ではそれほど重要視できなくなってるんですよ。親にも言われましたしね、他人をとるのかって。
私は今高校生ではなくて大学生なんです。生活の細々したところが変わるのは当たり前でしょ?
今現在の、大学生の私と、もう存在してない過去の私を比べてこうだったああだったといわれても、どうしようもないと思うんだよね。
これは私の人生。
私があなたを優先させようが友人を優先させようがそれは私だけができる判断じゃん。
母親には苦労させてきたよ。よくみんな大学に行かせたよね。本当に今私が
大学に通えてるのは当たり前のことじゃなくて金銭面とかで親の支えがあったからだと思う。心の底から感謝できる。尊敬できる。誇りに思える。
でもね、小学校2年からの環境で私は一人に慣れちゃってさ。お母さん大好きだけど、ただの心の支えなんだよね。実体じゃなくて、その存在に支えられてるんだよね。もちろん実体に迷惑掛けまくってるけど、そういう意味ではなくて……
こういう考えをもつのも、こう思うのも、こんな感覚になるのも、私だからで私以外の人に理解はできないと思う。
結局私もこの感覚をヒトに伝えられるようにうまく表現できないし。
これ以上は書いても不完全燃焼を悪化させるだけっぽいから中途半端だけどこれで終わります。
あれ?なんで私の部屋に来て昼ごはん食べてんの?
- 「こだまでしょうか いいえ、誰でも」