前田利家さんとモバ友になろう!
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- 2013/4/12 16:19
- 朝鮮王朝
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- 10~14世紀の朝鮮半島を支配していた高麗をイソンゲ将軍が倒し、朝鮮が建国された。朝鮮という国名は、王朝が長く続いてほしい。という願いを込めて、付けれた。以後500年近く続いた。ハニャン(ソウル)を首都に始まった朝鮮王朝。高麗の影響を排除しながら現代の韓国につながる文化と政治の礎を築いた。儒教を土台に中央集権政治、ハングル創製、時計や各種科学器具の開発を100年で成し遂げる。高麗の轍を踏まないよう、地方で権力を握っていた豪族を追放して科挙による官吏登用。7代セジョンのころから両班による官僚政治色が強まる。官僚の私利私欲が拡大し国家財政は疲弊していく。これをチャンスとばかり秀吉は朝鮮に侵攻。以後王朝は戦乱によって荒れた国土の建て直しを迫られる。朝鮮王朝前期。秀吉の侵攻危機に陥った15代クァンヘグンが建て直した1600年から王朝後期。クァンヘグンは日本と交流を復活。戦乱被害から立ち直るため庶民救済の税制改革を行う。以後軍隊を養成し国防にも努めた。クーデターによって王位を追われる。18世紀各党派から公平に人材を登用する政策や税の軽減か行われ特権を独占していた両班は力を失い両班の家柄を売ってお金に替える者も現れた。王朝維持土台であった階級制度は弱体化。宮廷を去った学者たちは貧富の差を始めとする社会問題を正す学問として医学、天文学、実学をすすめるようになり王も儒教への偏りを改め実学によって社会を改革していこうとする。しかし西学やカトリックが入ったため、これを邪教とする者との抗争が始まる。1800年22代チョンジョ(イサン)が亡くなると実学西学カトリックを弾圧する粛清が始まり近代化への道は再び閉ざされた。カトリックの弾圧は諸外国の反発を引き起こし東アジアを狙う欧米に侵攻の口実を与えてしまう。明治維新後日本は朝鮮に進出、勢力の拡大を狙ったため清と対立。1894年日清戦争が起きる。それまで清と関係にあった朝鮮王室からしだいに清の勢力を排除。朝鮮支配を強め1910年韓国を日本の植民地になる。500年以上続いた朝鮮王朝は韓国併合により終焉を迎える。