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- 2018/12/16 6:49
- 大久保利通文書と日記34-14 参考13
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- 文久2年 1862 33歳
【大久保利通文書】から
●【参考】19
本田親雄より税所篤への書翰
(明治31年1月19日)
夜もしらしらと曙なんとする頃、甲東も去り、
予もまた、伏見にと別れて帰りぬ。
翁の舟出は、いつなりしか、また何かたに
如何なる處置になりしや、おぼつかなきか
きりなれと得知らす。
けさしも、わか草庵を訪らひ給ひて三十餘年前の
むかし語りのゆくりなくも、南洲、甲東の事に
はなし移りてけるを世の中の塵、打拂ふは
物忘れるゝにそ、よき心構へなれと、
おもひしものを、かかる事跡は世に知る人もなし。
これはかりは忘れたくもなし。
いさやそのありしまゝ、聞きしまゝの光景を
筆に染めて置ねかし。
明日は泉州に帰らむとおもふ程に、けふの中に
記し給へやといふに、やをら、われも忘れぬうちに
燈をかゝけて書つゝりておくる。
明治三十一年一月十九日夜
楳 塘 ■ (本田男爵)
鵬北老人壹(税所子爵)
研北
呉竹の 世にもまれなる一ふしの
むかしかたりを 君わすれめや
(意訳)
夜も(*明けて)白々と曙になろうとする頃、
甲東(*大久保利通)も去り、
私(*本田親雄)もまた、「伏見に(*戻る)と、
別れて帰った。
翁(*西郷隆盛)の舟出は、いつなるのか、
また、どこに、どのような処置になるのか
分からないが、(*考えれば)きりがないと、
知れ得ないことであった。
今朝も、私(*本田親雄)の草庵を訪れられて、
30余年前の思いがけない昔話も、西郷隆盛、
大久保利通の事に話が移ると、世の中の塵
(*世間のうわさ)を打ち払うことは、
物忘れにとっては、良い心構えであるけれども、
(*私が)思っているように、このような事柄は、
世間で知る人もいない。
こればかりは、忘れたくもない。
いや、そのあったまま、聞いたままの光景を
筆をとって留めて置かねばならない。
明日は泉州に帰ろうと思うので、
「今日の内に書いて下さい」と言うので、
ゆっくりと、私も忘れない内に灯りをつけて、
書き綴り、お送り致します。
明治31年1月19日 夜
楳 塘 ■ (本田男爵)
鵬北老人壹(税所子爵)
研北(*机下、御中)
呉竹の 世にもまれなる一ふしの
むかしかたりを 君 わすれめや
- 文久2年 1862 33歳