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- 2012/8/4 2:26
- 水府流剣術とは・・・
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- 激動幕末の水戸藩第九代藩主徳川斉昭公(第十五代(最後の)将軍慶喜公の実父:諡:烈公)は天保十二年弘道館設立の趣旨(水戸学:敬天愛人:文武不岐思想)に相まって藩内各流派の剣術の併合を命ぜられた。少数分離の弊風を是正すると共に相互に技術を練り磨くに少数では目的達成に容易ではなく、なお分離していたのでは各流派が反目しあっていて藩内の親和を損う(各流派の剣術道場は幕末に栄進すると共に尊皇・佐幕・攘夷の各志士の塾の役割を果たし故に衝突の)恐れもあった。故に水府流の始祖は斉昭公であり流派にしてはめずらしい官製流派でした。併合された流派は「伊藤一刀斎:神子上一刀流」「上泉伊勢守秀綱:新陰流」「愛洲移香斎:真陰流」の三流秘奥長所を取捨して水府流格法を組み立てられました。私のご先祖様は当時当藩の御小納戸役兼新陰流指南役を務めておりました。斉昭公の水府流格法の組立の命によりお役引き抜きとなり心血を注いだと文書が残っております。そうして天保十四年烈公両手御朱印による指南役御印可が下げ渡されました。私のご先祖様は代々指南役を務めましたが明治維新と共に流派は途絶え、再度保存会のご尽力により明治三十五年六月二十四日に常磐神社に於いて指南役相伝し再興致しましたが、太平洋戦争で伝書は消失したと思われます。私は先祖が残してくれた文献をもとに再々興を企てております。