儀太郎さんとモバ友になろう!

日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!

Yahoo! JAPAN IDだけで遊べる!今すぐ遊ぶ!

    • 2012/3/30 18:46
    • あとがき続
    • コメント(0)
    • 閲覧(7)
  • "アバター"
    • 「忌部氏は信長が天下布武を唱えた時信長に接近し、672年に奪われた王権の奪回を画策。信長が日本国で武力第一となった暁に天皇制廃止し、古代の道教の神、「太一(北極星)」のもとに王朝を再興するために協力」
      「信長が1581年に興行した「御馬揃え」の真意はキリスト教国たるスペインポルトガルに対して「信長こそが現世に再び現れた救世主である」とのメッセージを天皇にではなく当時のイエズス会東洋本部の最高権威だったバリニャーノに伝えて信長及び日本民族の特別であることを証明しようとした」
      「信長を利用して東洋の支配しようとしたスペイン国王フェリペに対して真意を語って支配略奪の東洋政策の変換を促し得る唯一の人物がバリニャーノだった。改変が必要になっていたユリウス暦を廃棄するに先立つ一年前、信長の側近筆頭の明智光秀と忌部氏は日本古来から存在していたある暦を用いて
      聖書に記述されているキリストの受難週と復活の物語をその装束に象徴させて無言劇の中に彼らにもそれとわかる順序で行進させた。
      朝廷に対する威嚇というのは事実の上っ面の評価。2/28に
      催された後で再び催された3/5日の馬揃えは正親町天皇が要求した」「信長による日本宣教計画は信長本人にとっては苦肉の策。そして天皇を操る藤原氏が対抗勢力として徳川に渡りをつけたのは藤原の武力代表たる細川藤孝の家康への接近として顕れている」「家康は武田
      滅亡後、不審な動きを織田信忠に警戒されていた。他方、その信忠の岐阜太守着任により長年の約束を反古にさ
      れた信長夫人が家康と接近した関係で織田の内部事情が徳川に筒抜となる。当然、遅かれ早かれ信長の標的にされる事を理解している家康は先手を打って邪魔になりそうな佐久間らを長谷川秀和などを買収して工作させて倒し、一番邪魔な信忠と信長夫人の実弟、斉藤利政らを本能寺に送った稲葉、斉藤利三部隊によって滅ぼす」「斉藤利三は明智軍団に信長殺しの濡れ衣を着せる目的のために明智軍団筆頭として終始先頭に立ち、思わぬ事態に狼狽した光秀をリードした。しかし秀吉軍団が独自の計略を用いて織田の主権を奪うための戦いにした事の犠牲となる事態は見抜けなかった 」「長曽我部を滅ぼす意思を固めた信長によって左遷された怒りを差し引いても、最後まで家康との共犯関係を口外しなかった感謝として、家康は春日局との間の隠し子家光を後継者に指名」

コメント一覧

更新する

この日記を違反通報する

儀太郎さんの
お友達の最新日記

日記を探す

気になるキーワードで検索

みんなの新着日記