耕平さんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2011/9/17 20:45
- 大東亜戦争~三~
-
- コメント(0)
- 閲覧(6)
-
-
- 当時にはこういった背景があり、日本たる日本人の理念がそこにあり、そしてこのような現実が悲哀とあったのち、今日の日本があるのではないか。
あの時代には何があったか。戦争である。あったのは戦争である。誰もが不本意であった戦争である。一個の人間、一国の人間では歴史の前では皆無である。勿論、敵国であった国々にとっては、祖国がやられているのだから、そら日本は仇となろう。然し日本人が日本の歴史を仇としてどうするか。日本人が日本の歴史を愛せずして誰が愛するのか。良くも悪くも日本の歴史を愛せるのは日本人しかいないのではないか。日本の歴史のせいにするぐらいなら、落ちぶれた今の日本をのうのうと生きる自分に、生涯戒め続ける方が余程過ぎてもましというものだろう。ここにあるは日本だ。建国から二千六百七十一年、培ってきた歴史ある日本が今ここにあるのだ。歴史とは綺麗なものだけではない。醜きことも歴史なのだ。恰も他人事のように日本の歴史を悪い悪いと辺りに撒き散らすのではなく、それらも全てまるまる愛すのが我々日本人であろう。この日本に於いて、日本人として、心底に主として天皇陛下にあられ、主と別のところにあるは、これらが先ずとすべきである。
文字制限の関係で三つに分けて書いたので、三つとも目を通して頂きたく存じます。
- 当時にはこういった背景があり、日本たる日本人の理念がそこにあり、そしてこのような現実が悲哀とあったのち、今日の日本があるのではないか。