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- 2011/3/17 19:15
- 東北大地震から一週間…
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- やっと落ち着いてきたので、報告と自分自身が忘れないために
3月11日発生時は仕事の休憩中で、職場に戻る途中で遭遇した咄嗟に道路脇の駐車場に移動して、あとは物凄い震動で動けなかった~
長くて大きな横揺れがやっと治まってきたかと思う間もなく、重なるように次の震動が
デカイ地震が2つ!(実際は3つの複合型)とその時感じて、近くの見知らぬ人と「ヤバイッスよ」「落ち着いて!」と声を掛け合って落ち着くのを待ってた
周りのビルはコンニャクのようにグニャグニャ曲がり、普通の家の外壁は崩れガラスがバリバリと割れて、そんな状態が2~3分は続いたと思う
地震は怖いけど大変なのはその後で、急いで職場に戻ると停電と余震の中、同僚が客の誘導(仕事は接客業)や安全確認に走り回ってる部屋と家族と彼女が心配だったけど、職場が避難所みたいになってたからその応対もしなきゃならず、情報が入って来ないからパニック状態が一日続いたナ
夜中に仕事から解放されて部屋の確認しに戻ったけど、街灯の無い夜があれほど暗いのにも驚いた
「闇」ってこういうものなんだと痛感メチャメチャな部屋に戻って毛布で暖を取った
仙台市は地域によって差があるけど、俺のところは電気が戻ったのが13日、水道は16日で、それぞれ明かりが点いた時、蛇口から水が流れた時の嬉しさは例えようがないとにかく嬉しかった~
同時に暗闇と寒さで過ごした数日間と水汲みを何往復もした辛さ、その他普段では体験しなくてもいいような経験も、絶対忘れちゃいけない今思えば異常な状態の中、仕事が出来たのも心のバランスを取る上で良かったのかもしれない
後、気掛かりなのは、県北にいる親と未だ連絡がつかない事だナ…
ライフラインが復旧するのに平行して情報も入って来て、沿岸部の悲惨さには衝撃を受けた10歳くらいまで住んでた気仙沼市の見覚えのある通りや地名の変わり果てた姿に言葉も無い…俺はいっときの大変さから解放されつつあるけど、もっと深刻で大変な人達が山ほどいるわけで、どうか周りの人達と支え合って励まし合って頑張って欲しい
天災は時間も場所も人も選ばず突然、無慈悲に容赦無く襲って来るものだから、「天罰」なんてホザいた独裁者気取りのバカなクソジジァがいたけど何様だ!?神がいるとして天罰下すとしたらテメェだろが
- やっと落ち着いてきたので、報告と自分自身が忘れないために