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    • 2010/2/14 14:42
    • 山中鹿介
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    • 尼子氏再興のため「瓦全の道」を貫いた忠臣。山中鹿介は三日月に「我に七難八苦を与えたまえ」と主家の再興を祈ったのは戦国史上有数のエピソードで知られている。鹿介が生まれたころ(1545年8月15日)主家の尼子氏は大内氏と中国地方の覇権をかけ死闘を繰り広げいた。だが1560年、尼子晴久の病没し、嫡男義久が尼子家を継いだことは、尼子氏滅亡の序章であった。成人していた鹿介にとって最初の苦難である。このときの中国地方は毛利元就の台頭により尼子氏は不利な戦いが続き1565年4月には毛利勢に本拠の月山富田城が包囲されてしまう。それまでの鹿介は尼子家中において血気さかんな若者に過ぎないものの毛利勢との戦いにおいて頭角を現し、品川大膳という豪傑を討ち取り、その名は敵味方に鳴り響く。だが鹿介一人の力では劣勢を覆すことはできずに1566年11月、義久は毛利元就に降伏し、月山富田城を明け渡した。これにより鹿介は尼子氏再興のために生涯をついやすことになる。

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