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- 2010/2/10 12:27
- 織田信正
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- 織田信正。この人物の存在が事実であれば、信長の長男とされる織田信忠は次男ということになる。信正の存在は江戸時代末期以降に編纂された「系譜纂要」などを根拠にしていて、幕府の公的な系譜集などには記載されていない。信長・信正生存時の上質資料にも一切登場しないため、その実在も疑問視されている。だが興味深い。史料から確認できない人物であるため、その生涯は江戸末期以降の編纂の著しく信憑性に乏しいものからしか分からない。それによれば1554年6月4日、尾張那古野城で誕生したが、正室の嫉妬を受けたため村井貞勝に養育され、1566年に元服、帯刀重勝と名乗り、同年3月母とともに古渡城に移り城主となる。1568年の信長上洛の際初陣を果たす。信正は期待に違わず六角氏の観音寺城の戦いで戦功をあげ足利義昭から感状と太刀一振りを賜る。1574年に従五位下大隅守に叙任。この叙任は伊勢長島攻めで討死した津田信広の家を継いだものによるとも言われる。1575年、従五位上主膳正に昇任。6月、正親町天皇から菊桐紋と珍器を拝領。1577年に従四位下侍従に昇任。同年に織田信孝も侍従に叙任しており信長の息子としての存在感が伺える。信正の存在は本当に興味深い。