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- 2010/2/7 18:30
- 津田信澄
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- 津田信澄は織田信長の弟の織田信行の子である。信行と言えば、血をわけた弟でありながら何度も信長に背き謀反した人物である。その子である信澄は、その当時、幼子であった。だが謀反人の子であるから殺されてもおかしくないが、信長は類は子に及ばずと言って信澄を許し、柴田勝家に預け養育させた。そして無事に成人した。そして越前一向一揆討伐、明智光秀の丹波攻めの赴援と軍事行動にたずわり、信長の側近として次第に重用される。1578年2月、磯野員昌が出奔で、その跡地の近江高島郡を与えられ大溝城主となり、一門衆として遊撃軍団を率いるようになる。そして明智光秀の娘を嫁に迎え順風満帆であったが、信澄の運命を変える本能寺の変が起る。この時、信澄は四国征伐軍の総大将の信長三男の信孝の補佐役となり四国へ渡海はずであったが、事変が起り征伐軍は混乱、信澄は動揺する信孝を励まし大坂城に入るが謀反人の光秀の婿であり光秀に通じていると信孝に疑われ殺されてしまう。なんと悲しいことか。よく考えればわかるはずなのに…。