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- 2013/2/10 15:09
- 善悪の錯覚1
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- 心理学の世界で、「善悪の錯覚」なり、「善悪中毒」という言葉は、まだ必ずしも一般的とはいえません。
善悪という言葉自体が、倫理学なり宗教の範疇であって、心理学という学問には馴染まないという印象もあるかも知れません。
しかしながら、倫理上の価値基準(=何が善で何が悪か)といった土俵を離れ、善悪という言葉・観念だけを純粋に取り上げてみると、その言葉・観念がいかに容易に錯覚、そして葛藤の原因になっているのか、という人間心理を観察することができます。
そして更に深く人の心を覗き込めば、その錯覚がどれほど危険なものかも観察することが出来るでしょう。
善悪の錯覚は、個人の心の葛藤を生むだけではなく、民族という巨大な集合体の様々な葛藤/悲劇 ―戦争、テロ、抑圧、殺人、犯罪、拷問、いじめ―などの、根本的な原因となってきたと考えることが出来るのです。
人々が善悪が生む錯覚に気づき「善悪中毒」という心の病を克服しない限り、人類は永遠に争い(葛藤)を繰返すことでしょう。さらにいえば、「善悪」の強迫観念・錯覚を抜きにしては、犯罪心理学、犯罪予防心理学、葛藤や戦争の心理、さらには二重人格・多重人格といった異常心理についても、理解を深めることは大変に難しいのではないでしょうか。
現状、残念ながら、善悪の錯覚に気づいている人は多くなく、人々は、いわばその手付かずの危険に晒されています。―これでは、心の葛藤も自殺もイジメも虐待も犯罪もテロも戦争も、予防できる筈が有りません。
それでは、善悪が生む錯覚とは具体的に何なのでしょう?
―実は、これを正確に理解するのは、容易ではありません。
錯覚とは、いうまでもなく間違えて認識することです。間違えてしまうのは、間違いやすいからであり、そこには間違ってしまう理由も存在しています。
そもそも、
a.. ●間違いやすいものを、間違わない。
b.. ●間違う理由があるものを、間違わない。
のは、簡単なことでは有りません
- 心理学の世界で、「善悪の錯覚」なり、「善悪中毒」という言葉は、まだ必ずしも一般的とはいえません。