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    • 2012/6/28 21:57
    • 極個人的に嬉しい話
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    •  以前に人生をどこからでもいいから、やり直せるとしたらやり直したいかという話を友人したことがある。

       結論を先にいえば、やり直したところで同じ道を歩むであろうということなのだが、そこを踏まえて一歩さらに踏み込んで考えてみる。

       そう考えるのは、今までの経験をすべて肯定的に捉えているからではないか。無意識に思い出が美化されるのと同じように。

       現在の自分なりの答えは、目的があって、自分がその結果を求めるとしたとき、その材料となるのは今までの経験しかなくて、その経験の一つ一つは、結び付いているわけではない。けれども、そこに共通項を求めて、或いは視点を変えてそこから仮定を求めることで何とか、今の目標の線上に置くとき、そこで「今までの経験しかない」と実感が得られる。

       ここで、父の言葉を思い出す。幼い頃から口を酸っぱくして言われたのが、勤勉さである。

       好奇心に加えある種のハングリーさを持ったとき、そこで得られるものがリアルタイムに実感として血肉になっているとき、時間というものは物凄く貴重に感じてくる。ひたすら積み重ねるしかないからだ。それは、会ったこともない、見えない人を相対的に捉えて焦燥を呼び起こしたりする。

       ただ、絶対的に捉えればそこに自分しかいないわけだから、時間の経過とともに前に進みたいか否かである。積み重ねれば他者の評価はどうであろうとも、必ず前に進むのだ。反して、一夜漬けというのは一過性のものであると同時にどこまでも相対的なものだ。だから勤勉は強い。

       この勤勉さを以前から持ち合わせていたら、と考えたとき、表題に戻るのである。考えたところで結局答えは同じことなのだけれど、考える度に時間というものが貴重に思えてくるのもまた然り。

       近頃はこんな考えが、あまり窮屈に感じなくなった。そのことが嬉しい。

       というわけで嬉しい。嬉しくなさそう?あ、そう。

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