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- 2022/9/10 21:34
- 今は昔儂が高校生の頃。当時、創立百周年。
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- 当時、儂のいた高校は、現代にも関わらず、昔の旧制中学校(男子校)であった頃からの伝統を踏まえ、小中学校で言うところの級長を昔ながらに室長(しっちょう)と呼称していた。高校1年の1学期は、皆→周りが誰だか知らない状態。なんせ、高校所在地の周囲の中学校から成績順に上から来てるだけだからね。だから、1年1学期は担任教師が入学試験での点数を元に選ぶ。担任が→山口っ、(君は付けず、いきなりの呼び捨て)室長をやってくれるかと、隣の中学から来た←みるからに賢そうな奴を指名した。まっ、今にして思うと、儂でも奴を指名したろうよ。
←なんせ、後に知ったが、小中学校での成績は←常にオール5。高校でも、三年間←テストの成績は300人中→常に5番以内であったからね。後に剣道部に同時に入部し、奴の生まれと境遇を知る事になるけどね。当時の興味本意のリサーチに拠ると、まっいわゆる医者のせがれ。後に奴の家に招かれ、奴の祖父から聞いた話だと、何と江戸時代以前から代々続く医者の家系なんだと。長男である奴は、生まれながらにして医者に成る事を運命付けられていた訳さ。でっ、高校1年の1学期、授業で分からない事は奴に聞き、部活の剣道では←儂が少し揉んでやったが、僅か1年で、初段を取ると←勉強の妨げになるとか言って退部したね。儂も奴の出自を聞いていたから、一切止めなかったけどね。当時聞いた奴の祖父の話によると、幕末の頃、儂の同苗先祖の親戚の一人が京の都で派手な着物を着た愚連隊の様な侍達と3対2で斬り合いをして、瀕死の重傷を負った時、当時京駐在の藩医をしていた奴の祖父の祖父が手術をし、命を救った事が有ったらしい。一緒にいた友人の侍は即死だったとか。後に藩の目付(刑事)が調べた所によると、派手な着物を着た愚連隊の3人は、京都新選組の沖田総司と斎藤一、永倉新八と判明。でっ、その儂の先祖の親戚は、無事に回復。維新後男爵に任官。当時の貴族や高官との宴会の席で周りも酔いが深まり、新選組の隊長3人と斬り合った時の話を聞かせてくれとせがまれると、上半身裸となり、これが沖田総司に斬られた傷、これが斎藤、これが永倉と話し出し、飲みの場を一気に盛り上げたらしい。→もしかして、もしかすると、当時一介の警察署長をしていた昔の親戚が男爵に叙勲されたのは、飲みの席での話が面白かったから鴨ねっ。
- 当時、儂のいた高校は、現代にも関わらず、昔の旧制中学校(男子校)であった頃からの伝統を踏まえ、小中学校で言うところの級長を昔ながらに室長(しっちょう)と呼称していた。高校1年の1学期は、皆→周りが誰だか知らない状態。なんせ、高校所在地の周囲の中学校から成績順に上から来てるだけだからね。だから、1年1学期は担任教師が入学試験での点数を元に選ぶ。担任が→山口っ、(君は付けず、いきなりの呼び捨て)室長をやってくれるかと、隣の中学から来た←みるからに賢そうな奴を指名した。まっ、今にして思うと、儂でも奴を指名したろうよ。