日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2014/7/14 22:36
- ちょいと日帰り弾丸して来たばい(^^)
-
- コメント(1)
- 閲覧(20)
-
-
- ♪いわいぃ~めでぇ~たぁ~のぉ~~、わかぁまつへさまぁ~~よ(´○`)o♪、♪♪わかぁまつ~さまぁ~よ( O ) ( O ) ( O ) ( O )( O ) ( O ) ( O ) ( O )~♪*。~♪*。♪♪
別名「水掛け祭り」とも言われる博多の町衆が博多の区を駆け巡る祇園山笠は上川端にある櫛田神社が夏の祭礼の一つ、本来の形であった京都祇園祭などと同じく月の半分を費やして催す山曳き行幸だったそうな。
それが何故今のスタイルになったかというと……江戸時代に或る流の舁山笠が順番間違えて追い越し、それを受けて二つの流の舁山笠が追いつけ追い越せの競争をしたところ、これが博多っ子に大盛況だったので現在の様な櫛田入りや町廻り
のタイムアタックに繋がったそうなε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
ちなみに山笠の流は本来八つの流だったのですが、その一つの福神流は明治三十八年にある事情からずっと不参加。その事情とは櫛田入りの時に鳴った雷鳴を太鼓の合図と勘違いして山笠を入れてしまって大混乱を起こした責任をとった為という。
それから百年余りたった今は舁き山(1t)
を担ぐ土居・大黒・東・中洲・西・千代・恵比須の七つの各流に締めとして古来通りの大きさである飾り山笠(2t)を舁く上川端通流含めた八つの山笠が櫛田神社に入ってから総延長5kmをひたすら駆け出しっぱなし水掛けっぱなし早朝の博多を廻るわけであるから見物で我慢する方もうすうずして堪らないものである。
で、この集団山見せの時は七つの流に向かって各町の舁き手衆が裾を捲ったら水法被姿で駆け付ける訳だが、櫛田神社を御参りしてから何の気なく川端のアーケードを歩いていたこの気まぐれ旅烏は運良くその川端から土居までの駆け付けの一部始終を観れたので今でもホッコリの余韻が冷めぬ次第かな(●´∀`●)。
さても夜が明ければ博多櫛田はいよいよ締めを飾る追い山櫛田入りの刻、これを現場で刮目する事は残念ながら叶わなかったが、それでももう一日くらい早起きしてライブを観ておこうと思う次第であるヾ(o´∀`o)ノ
- ♪いわいぃ~めでぇ~たぁ~のぉ~~、わかぁまつへさまぁ~~よ(´○`)o♪、♪♪わかぁまつ~さまぁ~よ( O ) ( O ) ( O ) ( O )( O ) ( O ) ( O ) ( O )~♪*。~♪*。♪♪