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    • 2024/11/14 17:06
    • 『光る君へ』終わり意識した紫式部
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    •  「川辺の誓い」はこのドラマ中では終末感が強く出ていた回だった。そのせいもあってか、私の心にも強く印象を残した。
      「過ぎゆく時を思った日々は、今日で絶えるのでしょうか」
       道長に「源氏の物語は終わったの。もうこの世に私の役目はない」人生の精力を傾けた作品が燃え尽きたあと、人にはどのような光景が見えるのだろうか?
      「二人一緒に、流されてみない?」「道長が生きていれば、私も生きていられる」
       再び筆を取ったが、「光る君のような輝くお方は、彼の多くの子孫のなかにも、もう現れてこないのでした」

       か細い糸をつないだといったところ、どう取るか人にとっては意見が分かれるだろうが、私には終末の感じの方が強かった。

       宇治十帖。光源氏亡き後、薫、匂宮などの人物で書き継いだ最後の部分はそう呼ばれる。主人公の消えた後の、いわば余生。なぜ書いたのだろう。 「この世をば・・・」栄華も終わりがあることを、対比することで失われた人はもう戻ってこない失意を描いたのではないだろうか。


       書き継いだ『源氏物語』の最後の部分を、作者は「夢の浮橋」という意味深な章で筆を置いている。あたかもこれまで書いてきた物語は夢だったかのように。『日本国語大辞典』によれば、「夢の浮橋」は「儚(はかな)いこと」の例えでもあるそうだ。
       それは『平家物語』に顕著に現れる仏教的無常観の兆しではなかっただろうか、と思った。 巻名にもやはり、「花散里」「浮雲」など雅でありながら無常観を漂わせるのがあり、奈良時代からの仏教の無常観が徐々に浸透してきたことを感じさせた。栄華も終わりがあり儚いという構図は『平家物語』とも共通していて、光源氏が紫の上の死を知り、自分の人生もまた終わったことを悟り出家するシーンがある。その後は「雲隠れ」。
       栄華の後の儚さは四季が巡り紅葉で散り、冬が訪れる日本独特の感性と言ってもいいだろう。「夏草や兵どもが夢の跡」芭蕉

       紀行ではその宇治の地に浄土を表す荘厳な平等院鳳凰堂が建てられたことが紹介されていて、新たな感慨を呼んだ。「夢(彼岸)への架け橋」のように見えたのだ。また行ってみたい。

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