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- 2011/9/21 3:26
- 忍びの里探索
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- 前回、伊賀三大上忍の一人、百地丹波(三大夫)の百地城址に行って来ましたが…
今日は実家の近くの千賀地(ちかじ[ち])城址に彼岸参りのついでに立ち寄って来ました
ここは、服部半蔵の生誕地と伝えられています。
また、藤堂高虎(津城主)が家康から伊賀を加贈された折、後に藤堂姓を高虎から賜り、伊賀上野城の城代家老となった伊賀郷士、藤堂采女(うねめ)の生誕地でもあります。1
服部半蔵、藤堂采女生誕の碑
碑文…服部半蔵のみ抜粋
(服部半蔵は天文11年、この堡に生まれ千賀地氏を称す
鞍馬権現を念じ18歳にして遁形の術を得、海内一の忍術者となる
徳川家康に仕えて後年江戸半蔵門に住す
文禄4年 没す
享年54)2
藤堂采女生誕の地の看板
3
前回の百地城址の看板
(タタルさんのリクエストに
が遅くなりすみませんでした
)
また今回、実家の田のすぐ近くにある、吹井堡(とりで)にも行って来ました。
吹井氏は天正伊賀乱のさい、実家のある集落の郷士として柏原城(名張市)の篭城戦に参戦している。
その後、筒井順慶の家臣、島左近の家来となり、息子の吹井藤三郎は石田三成の家臣となった島左近と共に関ヶ原の地で散っています。
今では千賀地城も吹井堡も館が本当にこんな所にあったのか?…と思うほど淋しい?侘しい?と思われるほどの場所にあります。(特に千賀地城)『リンク:千賀地氏城』
(まぁ…近江の六角氏の観音山城や大和の高取城よりはましか~…あそこの山城跡は酷かった)
今、実家のある地域には、千賀地とも吹井とも名乗る姓は有りません。勿論、塚地も宇梶も…一応笑うところ
伊賀でもほとんど皆無です。
三大上忍の服部、百地の姓は伊賀市、名張市には沢山あります。
ただもうひとりの藤林長門と同じ姓は聞いた事はありません。
10月に、伊賀市では上野天満宮の祭事、天神祭があります。
だんじりの巡行と鬼行列を見に毎年多くの観光客が訪れます
だんじりは岸和田のだんじりよりは、京都の祇園祭の山鉾に近いです。
10月23~25日の3日間。『リンク:上野天神祭』
ぜひ一度お越し下さい
自称…伊賀観光大使ルソー
- 前回、伊賀三大上忍の一人、百地丹波(三大夫)の百地城址に行って来ましたが…