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- 2011/5/30 1:33
- 忘れてしまう前に
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- 3月11日の事を。思い出してみよう。(怖いけど)
9日から母が県外の親戚のところに行き、父は単身赴任で九州にいたため、弟と二人で留守番していた。一週留守にするため、母は色々食料を買っていってくれた。この行動が後に救われる事になるとは知らなかった。
10日はスーパーで買い物をした。小麦粉とジャガイモとカップラ。これらが後に備蓄となる。
3月11日午後2時
遅めの昼食をとっていた。食べたら、多賀城へ買い物に行く予定だった。
2時半に電話が鳴る。いつも一緒にウォーキングしてる相方からだった。
「今から、歩いてくるよ!雪降ってきたし夜、歩けなさそうだよ!一緒に歩かない?」
この誘いにのり、相方と一緒にウォーキングにいったあと、買い出しに行こうとその時は思っていた。
午後2時46分
相方とウォーキングをしていた。場所は、地元の大きな神社の長く急な石の階段。狛犬様に手を合わせて、帰る。
その時に携帯が鳴る。地震速報だった。が、すでに揺れている。今いる場所から50段位下らなければ、神社の鳥居にはたどり着けない。石段の下の方にいるうえ、周りは樹齢百年単位の木々。逃げたい。が揺れがすごく動けない。無我夢中で階段を降りて、安全な場所へ。相方が喘息の発作を起こし苦しんでいた。「大丈夫。大丈夫。」この言葉しかかけられなかった。
石塔は倒れ、硝子や家具の壊れる音や悲鳴が聞こえてきた。
どれくらいだろう。とても長く時間がたったように感じた。発作のおさまった相方と別れ、家に着くと、父から連絡があった。被害状況を話してから水を用意しておけと言われ、風呂釡、バケツ、ペットボトル、ありったけの鍋に水を入れて、ラジオと懐中電灯、ロウソクを探した。少しして弟から連絡があり、無事家で合流できた。この日は雪で寒かった。夜には晴れたが、不気味な位綺麗な星空に不安を覚えた。そして、母とは連絡とれないまま私は携帯の電源を切った。相方から連絡なかったら、どうなっていただろう。報道で現状を知ったのは、1週間後だった。一番最初に見たニュースが首都圏で買いだめする主婦だった。
- 3月11日の事を。思い出してみよう。(怖いけど)