☆ミィみぃ☆さんとモバ友になろう!
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- 2012/3/10 17:49
- あの日...
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- 朝、体調不良の娘に『帰り、迎えに来て』と言われていた
いつもは迎えに行きその後買い物していたのだが、あの日は買い物してから迎えに行こうか悩み、いつもより早く家を出た
200㍍ほど車を走らせた時、車の防犯ブザーが鳴り出した
『』と思い停車した時、車が揺れ、防犯ブザーではなく
の緊急地震速報だった
1人で下校中の1年生を保護し、激しい揺れが収まるのを待った
建物がきしむ音、揺れる電柱や街路樹、崩れ落ちる瓦...薄暗い雲に覆われた空が余計に不気味だった
少し揺れが落ち着いたので家に戻たら...
庭に面したリビングの硝子サッシが割れ枠ごと庭に落ち、本棚やレンジ台は倒れ、重い家具、食器棚、仏壇、冷蔵庫などは20㌢程度移動していた
物は落ち、割れ、どこから手を着けて良いかわからない状態...
学校の子供たちも気になったが、雪混じりの雨が降り始めたのでブルーシートで応急補修してから迎えに行った
老朽化が激しい小学校はかなり危険な状態で、隣接した幼稚園に避難していた
が、迎えが遅かったので先生が送ってくださり行き違いに..
先生と戻ってきた娘は大泣き
家に着いたら私がいつも座ってる横のサッシが割れ、私が居なかったので、怪我をして救急搬送されたと思ったらしい
家に戻ったものの、停電と断水...
各部屋は物が散乱し、生活スペースは1部屋のみ
幸い石油ストーブがあったので電気が戻るまでは暖が取れた
寒い日が続いたので、冷蔵庫内の食材や冷凍保存したものがそのまま使えた
田舎なのでプロパンガスだし、炊飯器もガス釜にこだわって使用していたので、調理にも困らなかった
トイレはお風呂の残り湯、飲料水は親戚宅やJA直売店の地下水を沸かして使った
ライフラインが戻った後も、国道から離れた田舎町には物資が入らなかった
息子の卒業式は余震を警戒し、土足のまま大幅に短縮しての式だった
新学期が始まったが、校舎が全壊判定のため、隣接した中学校の廊下やアリーナや用具室、同じく隣接した高校の空き教室を使っての授業が、つい先日まで約1年間続いた(現在は仮設のプレハブ校舎)
娘も息子も明らかに精神的異常が出て、PTSDって言われた
続き→『リンク:あの日...②/☆ミィみぃ☆』
- 朝、体調不良の娘に『帰り、迎えに来て』と言われていた