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    • 2022/7/4 18:19
    • ―私の歴史― 44.再び小倉での生活
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    • 私は平成7年11月30日付で宝石販売会社を退職しました。
      私が入社してから15年が経っていて、私は36歳になっていました。
      入社した時はこんなに長く働くとは思わず、またこの年まで独身でいるとは思いませんでした(笑)

      人生ってわからないものですね。

      12月2日、宝石売場、時計売場、眼鏡売場の三売場で私の送別会をやってくれました。
      私は最後の挨拶で「桃田ゆみ、これからは新しい職場で宝石の仕事を頑張ります!みなさん、長い間お世話になりました。ありがとうございました!」と元気にスピーチをしましたが、宝石売場の店長から花束と記念品を受け取るとポロポロと涙がこぼれてきて、店長の胸で泣いてしまいました。

      それから2日後の12月4日、私は誘われていた宝石問屋の面接に行きました。
      その会社は平田商会と言って、北九州市小倉北区にありました。
      平田商会の社長は面接で私に「年内いっぱいは小倉ヘの引っ越しやなんかをして、会社には年明け5日のわが社の仕事始めの日から出勤してもらったらいいよ、その方がキリがいいからね」と言いました。
      そこで私は社長の言うように年内に小倉ヘの引っ越しを済ませ、年明けの1月5日に平田商会に初めて出勤しました。

      平田商会は社長と社員6人の小さな会社でした。
      社員は男性4人、女性2人で、女性のうち1人は営業職でもう1人は事務職でした。

      平田商会の主な取引先はミッキーマウスのコンピューターミシンで有名なブラジャーミシンと3社の結婚式場でした。
      ブラジャーミシンにはフレンドリーという宝飾部門があり、平田商会の社員はフレンドリーの社員という名目でブラジャーの営業所に行き、ブラジャーのお客様に宝石を販売していました。
      また3社の結婚式場には平田商会の名前で行き、式場の社員が持ってるお客様に宝石を販売しました。
      なので私達平田商会の社員には「平田商会・桃田ゆみ」と「フレンドリー・桃田ゆみ」の2つの名刺があって、ブラジャーミシンと結婚式場で2つの名刺を使い分けていました。

      私の新しい住まいですが、鉄の外階段のある昭和の香りのするアパートで、中は四畳半二間と六畳のキッチン、それとバス、トイレでした。
      古いアパートだったけど、会社から歩いて5分という距離の近さでこのアパートを選びました。

      私は1月5日の夜にアパートに泊まり、いよいよ小倉での生活が始まるなと思って、期待と不安が半分ずつの気持ちで床に着きました。

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