ゆーさんとモバ友になろう!
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- 2015/9/2 4:21
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- この先生きていくことに意味があるのだろうか。
この先の人生、意味のないことばかりのように思う。
羨ましいと思うものは手に入らないのだと知ってしまったから。
知ってしまったと言っても、それは誰にでも当てはまるものではないけれど、自分はそういうものだ。
羨ましいと思うものを諦め、意味のないものを求めて生きる。それはわたしの間違った考え方のせいかもしれない。
意味のないもの、究極の答えなんて求めても意味はないって最初から理解していたはずなのに、それでも自分はそれを解くのだと信じていた。愚かなことに。解くことは誰にもできないと分かっていたのに。
それでも探り続けてしまう。自己中心的な哲学をつくりあげていく。
究極の答えなどないと知ると、世界を完全なものとして考えていたのが、自分を完全なものとして考えるようになった。
世界というのは自分が見る夢のようなものだと考えるのが一番妥当なのではないかと。
もちろんわたしは脳内での意味のない探求と現実とは区別している。 現実というか日常。
それでもやっぱり疑問が残り続ける。
疑問を消すには何かを確定しなければならない。
確定の対象になりうる存在は自分しかいないのだ。
孤独だ。
神様がいてどうにかしてくれたらいいのに。
でも、世界というのはそんなのではなかった。昔は純粋に楽しいこともあったし、これから先もあるかもしれない。友達とか家族とか大事なものがあるのだろうに。
つまり、不必要なのは探求する自分だ。
何故1人なのに2つも観点を持つのだろう。
二重人格でもないのに。
2つも観点があると何をしてもどちらかが諦めてしまう。
自分というものをもっと嫌いになる。自信もなくなる。
それでもわたしは自分のことを結局大好きでかわいくて仕方がない。そんな自分は気持ち悪い。
まあいいや、それがわたしの本質なのだから。
- この先生きていくことに意味があるのだろうか。