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- 2020/7/29 20:38
- もちまろのミニカー日和 其の十七
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- ~咲かなかった潜在能力~
ミニチャンプス(PMA)製1/43ティレル・ヤマハ022
#3 U.Katayama
日本人三人目のF-1フル参戦ドライバー、片山右京(かたやまうきょう)。
「右京さん」に対しては、評価は二分されるドライバーです。
一つは、
「F-1に5年間もフル参戦していて通算獲得ポイントは僅かに5ポイントってのはダメだ」
と言われる反面
「イヤ、潜在能力(ポテンシャル)では中嶋さん(中嶋悟)や鈴木亜久里より高かった」
とも言われます。
僕は、歴代の日本人F-1フル参戦ドライバー9人の中では、
小林可夢偉と並ぶ「潜在能力ではピカイチ」なドライバーだった、
と評価しています。
右京のF-1フル参戦の5年間は、マシンに苦労させられたシーズンの連続でした。
当時F-1にエンジンを供給していた「ヤマハ」。
バイクのイメージがありますが、実はF-1にエンジン供給していた時代があるんです。
そのヤマハエンジンの信頼性の低さに泣かされて、リタイアする事もしばしば。
けれど、デビューした年(1992年)のカナダグランプリでは、一時5位を快走して、エンジンブローでリタイアするまで入賞目前だったり、日本人F-1ドライバーでは初めて(少しの間でしたが)2位を走ったり(1994年サンマリノグランプリ)、随所で「光る走り」を見せてくれました。
結果として、確かにフル参戦5年間で、獲得ポイントは僅かに5ポイント・入賞回数3回(当時のF-1は上位6位までが入賞・ポイント獲得)と数字だけ見ればたいした成績は残せず、「潜在能力」が花開くことはありませんでしたが、
右京の見せてくれた「熱い走り」はまさに
「記録より記憶に残る」
ドライバーでした。
そんな右京だからこそ
「過酷な状況で苦労したり、負けた回数の多い人ほど強くなれる」
という彼の言葉が響くのかも知れません。
ミニカーは、右京がF-1フル参戦中で唯一ポイント獲得・入賞をした1994年に彼が乗っていた
ティレル・ヤマハ022。
「Vの字型」のコックピット入口の形状はこの年流行した形(始まりは1991年のウィリアムズのマシン)。
右京は94年の入賞で、実は翌年(95年)に、ベネトン・ルノーへの移籍オファーがあったんですが、彼はそのオファーを断り、ティレルチーム残留を選んだ、とか。
もし、当時トップチームの一角だったベネトンに移籍していたら、、
右京のF-1人生も、日本人のF-1参戦の歴史も
変わっていたかも知れません。
- ~咲かなかった潜在能力~