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- 2017/6/28 22:09
- ささやかな苦悶(病みとか写メとか注意)
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- 最近僕は、自分が生きながらえるために、痛みや苦しみに対してどんどん鈍くなっているようで、恐ろしいのです。
自分が壊れる程に苦しいことや、全てを投げ出してしまいたくなる程に痛い事。そういう事が最近はあまり無くて、それがたまらなく不安なのです。
「いつか僕は、人の痛みを分からない人間になってしまうのではないか」そんな心配ばかりが胸を去来します。
僕はもっと苦痛が欲しい。屈辱が欲しい。そういうものに恒常的に触れていて初めて、僕は謙虚な人間になれる。近頃の僕は傲慢だ。人の話は全てわかると思っている。
僕は痛みを知ってる人間だけど、その痛みを忘れかけてる人間でもあると思うのです。
その証拠に最近は、何を言っても間違いなような気がするのです。
自分が何を言っても、それが軽薄な励ましにしか聞こえないのです。
僕は誰かに光をもたらす存在になりたいけれど、ポジティブと無神経を履き違えてるような、独り善がりな人間にだけはなりたくない。
どうすれば、片方の手で光明に触れたまま、もう片方の手を暗闇へと浸しておけるのでしょう。
僕は同調も反発も要りません。僕の事をわかってるのはただ一人、僕だけで良いのです。それでも最近は、一人で考えていると、心が軋みを上げるのを、確かに感じるのです。
何て弱い人間。これも自分に課せられた苦難の一つとして、甘んじるべきなのでしょうか。
反応に困る内容でゴメンナサイネ。口直し…にもなりませんが、うちにある、金子國義先生の絵画と、うちの父様の銅版画と、マスかく時くらいしか役に勃たないタヌキさんの左手(ゆんで)でも貼っておきます。どうぞ皆様良い夢を(*´ω`*)
- 最近僕は、自分が生きながらえるために、痛みや苦しみに対してどんどん鈍くなっているようで、恐ろしいのです。