日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
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- 2011/3/16 0:19
- 助かった。本当に良かった…
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- 11日午後2時46分頃、学校は5時限目終わり頃、格納庫で実習してたらもの凄い地震が来たから思わず外にでた。
学校の校庭の地盤が緩くて液状化現象で地面から水が吹き出してきた。
立ってられないほどの地震だった。
先生の指示で体育館の2階に逃げた。
地震のあと40分後ぐらいに津波が来た。
体育館の中には1.5メートルくらい水が入ってきた。体育館の外は2メートルくらい水が上がってきて、体育館の近く3メートルにトラックが流れてきて、死ぬと思った……
体育館の中はガソリンと潮の臭いでいっぱいだった。
学校は、津波で飛行機や機材や教科書とか流されて、ガソリンか何かが燃え移ってた。さっきまで勉強してた学校がみるみる崩れていった。
だんだん日がくれても、外部との連絡は取れないみたいでヘリコプターの音は聞こえてもただ通りすぎるだけ。
避難時の物資の準備は何もなくて夜中は模造紙を掛け布団にして皆で寄り添って過ごした。凄く寒かった。
暗さもあって、余震がより大きく感じられた。
翌朝12日の6時から脱出が始まった。体育館の外は水は引いてたけど車や泥や木くずがたくさんあった。
学校はただの建物の骨組みくらいしか残ってなかった…。
近くの物流センター的な所からパンと飲み物を分けてもらった。
先生の後に続いて自力で学校周辺から脱出した。
道の途中に車や漫画や楽器も落ちてた。津波がたくさんのものを巻き込んだのがわかった。
なんとかアパート近くに着くことができた。近くの神社で休んでた人に現在の状況を聞いて、避難所があることを知って、そこで過ごした。
翌朝配られた新聞で、今回の地震の被害や原発の状況を初めて知った。
学校が無い、東北の海沿い全てが無い、原発付近の実家が心配……もう、どうしたらいいのかわからなくなって、ただただ泣いた。
大切な人を亡くした人、行方がわからない人、家が無くなってしまった人……自分より辛い状況の人がもっとたくさんいる…なにかできることはないかと思っても、今はただ、自分が生き続けることで精一杯だ。
こんなことを日記に書いた所でどうこうなる問題ではないけど、こうして文章にしておくことで、少し気持ちが落ち着くかもと思ってここに書いた。
皆からの心配のメールでだいぶ勇気づけられました。本当にありがとう。早く皆に会いたいです。
今日は被災から5日目。
- 11日午後2時46分頃、学校は5時限目終わり頃、格納庫で実習してたらもの凄い地震が来たから思わず外にでた。