ルーシー・マリア・ミソラさんとモバ友になろう!
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- 2012/11/22 10:56
- 11月21日(前編)
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- 11月21日、昨日で母親が亡くなってから丸一年が経った。
昨年の昨日、週はじめの月曜日、午前11時前の仕事中に母親の訃報を知った。
「ミー子(義兄や甥が呼ぶ母親の愛称)が死んだ」
これが義兄から直接聞いた俺への最初の訃報だった。
初っ端、愛称で言われたから何の事か理解出来ない顔を浮かべら間もなく、「お前の母さん」と言われ俺は一気に血の気が引くような感覚になった。
その週の前の金曜日に俺は友人の事で電話をしていた。
母親「何や」
俺が電話を掛けると少し気だるいような感じでいつもそう言う。
俺「〇〇が離婚したってよ」
「ええ、そうや 分かったわ」
そんな感じで会話は1経つか経たないかで終わった。
これもいつも通りの流れである。
その時電話したのは、母親はその友人(高校からの腐れ縁)にその時の結婚で多少なり相談を受けていたのを知っていたからだ。
そういう会話を交わしてから間もない訃報だったので、母親の死は素直には受け入れられなかった。
その日、急ぎ足で片道約5時間の高速道を使い辿り着いた実家で見たのは、死に化粧をし眠るように棺に収められた、紛れもない母親の姿だった。
既に、母親の友人や地区の人達が集まり、通夜の支度の最中だった。
正直、直視する事が辛かった。
声ば出なかったが、後々目が痛くなるほど涙を流していた。
その後、姉や母親と縁のある知人達が母親の姿を見るなり、泣き崩れていた。
その日の朝方、母親は普段通り、豆腐作り(実家の家業)に参加し、犬の散歩をしていたそうた。
犬の散歩をしている姿は近所の人数人から見られていたそうで、いつもと変わらない様子だったそうだ。
友人が通夜の際に号泣していた姿が目に焼き付いていて、それを思い出す度に、今で涙が出そうになる。
無くしてみて初めて大切な物に気がつくなんて事は良く聞く。
俺が失ったのはあまりにも大きな存在だった。
母親に対して死ぬまでの間、俺はロクな事も出来なかった。
今は後悔だけが強く残る。
亡くなった時母親は57歳。
死因は呼吸不全。
生まれつき、肺機能が弱く、肺癌も患い肺の一部を切除し、煙草も吸っていたので、肺機能が限界を迎えていたのだと思う。
母親は煙草をライフワークの一部にしていた。
生前、「煙草を取り上げたら私には何も残らない」みたいな事も言っていた。
だから母親の煙草を誰も止めなかった。
- 11月21日、昨日で母親が亡くなってから丸一年が経った。