鷲冬さんとモバ友になろう!
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- 2024/1/23 2:10
- 三つ日記 その三
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- あの日。
地震で津波の警報が出て、慌てて家から避難しました。
海岸沿いの街は、自分を含むたくさんの人たちが一斉に車で避難したので、周辺は渋滞して一時異様な状態になりました。
幸い津波は街を襲うほどの影響は無かったのですが、予測通りの津波がまともに来ていたらと考えると恐ろしくなります。
これらの行動は結果として、正しかったのか、悪かったのかは、今生きてる時点では分かりかねます。
もし生きていなければ、他人が判断してくれていたでしょう。
避難先に行く途中にコンビニへ寄る。
駐車場は避難した車で一杯、老夫婦が車中で寄り添って寝ている。
店内は飲料品が散乱したのか、床に新聞紙が引かれている。
他が閉店する中、それでも営業してくれているのは有り難かった。
避難先で、情報が色々入ってくる。
能登は大変な事になっていると知る。
こうやって無事でいられるのが何か奇妙に思えた。
過去の震災のようなことが、まさか自分の身近で起きてるという現実がつかめきれないような気持ちでした。
明けて、ようやく警報が解除されて家に戻ることができましたが、電線は外れて垂れ下がり、食器が落ちて割れている。
あーあ、ネットやテレビで見たやつ、そのまんま自分の家に来たな。といった気持ちでした。
なのにこれでもかと、家が軋むような余震がずっと続いていた。
それでも被害とはいえないようなものかもしれません。
能登の被害はもっと悲惨だった。
北陸は、近年からの能登群発地震以前は、比較的地震の少ない地域でした。
特に自分の住んでいる県は、全国的でも1,2の地震の少ない県でした。
地震というものが解明されるうち、日本はどこも安全じゃないと分かったつもりでいても、どこかでこの地域は、自分は大丈夫だと思っていました。
でないとまともな心境では生きてはいけないですから。
それでもひとつ経験や体験することで、明日は我が身だということが、ひと周りしてきたというか、なにか本質的に気づくのかもしれません。
被災地の人は、おそらく今この時も、恐怖と先への不安を感じ、あるいは身内を失いで、さらに言葉はつきない気持ちでいると思います。
被災地の方々が、自分は大丈夫なんだと、少しでもまともな心境に戻れる日がくることを願い、支援していきたい。
- あの日。