茶葉酒さんとモバ友になろう!
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- 2025/7/3 14:16
- 不確実性に耐える
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- ある意味、本能との格闘といえるだろう。認識発達の原型は二分法であり、曖昧さはいつでも嫌悪に晒される。
人類の発展に対する異議を唱えることかもしれない。
ホモ・サピエンスは二分法により世界を切り分けていくことで、理解し操作可能な道具を生み出し、合理性を見出してきた。
曖昧であってはならないし、不確実なことがあってはならない。
少なくともそのような理想でもって人類は発展しようとしているのだから、これに水を差すのはいかがなものか。
あるいは、そこまで強い言葉でなくても、「不確実性に耐える」必要はあるのだろうか?
物事を解明する。事件を詳細に知る。あらゆるメカニズムが明らかにされ、建設的に解決を目指される。しかもより早く、より安全に。そのように社会の仕組みは動いていると思う。
ただし「将来」という視座がそこには隠れている。「未だ、そうではない」という含意がそこにある。
私たちはそうありたいと願いつつも、現実は曖昧さ、不確実性に溢れる世界に在る。
「不確実性に耐える」という言葉は、どんなに高らかに理想と信念を掲げても、地を這うような生き方をする他ない人の生き様に手向けられる花束のようなものだと感じられる。
分かりにくいことは納得することも難しい。それでも、そんな主観とは無関係に世界は回り続ける。固有のあるいは無名の人に向けられたあるがままの承認が、ネガティブケイパビリティだと言えるように思う。
- ある意味、本能との格闘といえるだろう。認識発達の原型は二分法であり、曖昧さはいつでも嫌悪に晒される。