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    • 2025/6/6 22:21
    • 学ぶ人、学ばない人
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    • そもそも学ばない人なんていない。単細胞生物に至るまで、生き物は生存のための学習をしている。

      学ばなければ早々に淘汰される。
      淘汰されていないということは学習が、少なくとも最低限の、機能をしている証といえる。
      本能レベルでは皆が学んでいる。

      では学ぶ人、学ばない人というカテゴリーを作られるのはなぜか。人間社会では、任意の「場ーコミュニティ」を巡る学習が求められるからだと私は考えている。

      その「場」を定義するならば、
      学校とか職場とか、あるいはサークルとか家庭など、人が複数名集まる機能的な場である。それを成り立たせる独自のルールがあり、それを遂行するための作法がある。

      高度な場ほど、ルールと作法が精緻化されていて、作法というのも複雑なアルゴリズムが形成される。それゆえに、場に存立するための学習が求められる。
      必ずしも、学習しなくとも生命が脅かされることはなく、一方で本能学習的な行動では限りがあり、だからこそ学ばない人は生み出される。

      その場で機能的に学ぶ人はどういう人かを考えてみると、場に影響をもたらせる人ほど学ぶ傾向がある。ルールや作法に干渉できるとか、それらを構築する基礎となる理念や理論を熟知しているか、そういった人や理念に向けての信仰が強い場合などが考えられる。
      加えて作法にかかわるアルゴリズムを理解する能力、具体的に遂行するための想像力や、遂行機能があってそんな自分を好いているかもしれない。

      そのように学ぶ人を定義したら、学ばない人はその逆を考えたら良いと思うが、果たして学ばない人が学ぶようになることは可能だろうか。

      多くの場合、「学ばない」と呼ばれる人は学ぶことがない。場に影響しないポジションを好み、学ばなくても良いような立ち位置を選ぶ。などの、本来的に求められるものとは違うやり方を学習しているのかもしれない。

      結局のところ、「学ばない人」というのはある種の烙印であるように思える。
      「学ぶ人」もまた、場のルールメイカーであったり信奉者の批判されにくい特権的な立場から自己定義しているに過ぎないように感じる。必ずしも、発展的な学びを取り入れ続けているわけではない。

      そのような権力勾配の中で生じるコミュニケーションのズレが、学ばない人は学ぶことがない。という認識を形成しているのかもしれない。

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