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- 2016/6/26 13:56
- ゆとりと一休
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- 「ゆとりですがなにか」というドラマを最終回まで(録画)を
さっき見終えたところ
クドカン脚本というので予想したより結構真面目だったけど
興味深い諸々の発見があった
私のクドカン作品の印象は、突き抜けて明るい画面の向こうに闇(病み)が潜んでるという感じ
だからこの「ゆとり」を見始めて、おお?と思った
闇の部分を受け入れて現実レベルの世界で(普通の社会を舞台に)
戦いを挑む感じだったので、このまま昇華しちゃうのかな・・・?と
思ったら、やっぱり最後はグシャと潰してまとめてしまいましたね
奇妙な不安が置き去りにされる、後味の悪さは健在です
だがそれが良い!
いつになったら大人になるのかと心配してた人に
「一生大人になる気はありません」というお手紙を貰いました
ばかです
ばかだけど可愛いです
一休さんの有名な逸話に、
将軍が「屏風に描かれた虎を退治せよ」と一休に難題を出すのがある
一休さんは、準備整えてから
「さあ、その屏風から虎を放ってください」と将軍に言う
将軍は、それが不可能なので降参する
子供心に、このやり取りの面白味が今一わからなかったけど
今ならその意味がわかる
ようは、禅の教えと同じで
「今ここに存在しないものを恐れるのは愚かなこと」ということ
ドラマの中でちょっと胸を突かれたセリフがあった
「ゆとり世代と言われるけど、自分の人生ゆとりなんて無かった」
思春期とともに受験、大学、就職という、身も心も激動の時代で
誰がゆとりなんかあるでしょう?
火星人だって無いわ
ゆとりは、ここに存在しない何か、なんだろう
あるいは、ここに存在しない何かを、追い求めることは
存在しない虎に追い回されることになるんだろう
生きるというのは可笑しくも小難しいね
こういう良作ドラマに触れると、しみじみと感じる
- 「ゆとりですがなにか」というドラマを最終回まで(録画)を