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- 2013/6/28 18:37
- うちの親、、
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- 毒になる親の問題でややこしいのが、それを意識化しにくいこと。どうしても子どもの方が折れがちで、実際の関係をなかなか認識できません。
これがまだ直接的なものだったら、分かりやすいのかもしれません。幼い時には無理でも、大人になればやがて気づくかもしれない。しかし、それが間接的なものだとしたら、どうでしょう?
「手助け」とは、美しい行為。基本、相手のことを考えたものです。しかし、手助けの中には、相手のことを考えてないものもある。いわば、自分のための手助け。手助けの名を借りた、干渉ですね。
相手に必要か? ではなくて、自分がしたいか? なのです。ただし、自分がしたいのだということを意識できず、相手に必要だと強く信じている場合があるので、これは分かりにくい。相手の気持ちは確認しないのですが、相手の気持ちは分かっていると固く信じているので、なかなか話が通じません。
また、子どもの気持ちを分かろうとする気がないのに、「自分の気持ちを分かってもらえない」と被害者の座についてしまう。ここに支援者が加われば、もう、厄介なことこの上ありません。相手がどれだけ苦しんでいようと、おかまいなしなのですから。
- 毒になる親の問題でややこしいのが、それを意識化しにくいこと。どうしても子どもの方が折れがちで、実際の関係をなかなか認識できません。