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- 2025/5/17 5:48
- 武豊と新潟
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- 武豊騎手のデビューが昭和62年。
この頃の中央競馬って、関東と関西の競馬が明確に分かれていて、G1で美浦と栗東の調教馬が激突する感じで、馬券発売は新潟だと関西の競馬の発売は重賞でも限られていて、今のように三場12レース計36レースを全て売る時代からすると隔世の感である。ゆえに日本ダービーで、関西のレースだけで勝っていた馬は、西の秘密兵器と呼ばれたが、この用語は今や死語。
関西のリーディングを争う騎手は、平成の初期まで、新潟に来ることはほぼない時代であった。この流れで武豊騎手が中央開催の新潟に初登場したのが、1996年でデビュー10年目でした。
ただ、武豊騎手デビュー時の新潟競馬場は、新潟県競馬組合が主催する競馬開催もあり、1991年6月の中央競馬騎手招待で真に当地初登場。オグリキャップとの女性人気爆発により、女性がたくさんいたことが印象深い。
武豊騎手が来ると集客が見込め、新潟県競馬組合が大喜びで宣伝していた。1991年の時は、2000勝達成したばかりの渡辺正治騎手との共演を宣伝していたことも思い出す。
ダートグレードレースが多い競馬場だと地方競馬でも当たり前のように登場するが、同じ中央競馬なんだから、新潟や福島でも年1回は必ず登場してほしいところです。
- 武豊騎手のデビューが昭和62年。