ネズミ隊員さんとモバ友になろう!
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- 2013/6/15 9:18
- 私が20になって思ったこと
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- このSNSで私と交流した皆は、ここで創り上げてきた画面上の意思疎通の数々の思い出を、充実した現実世界の思い出と比すると、全く取るに足らない小さな思い出であると一蹴することもあろう。
しかし、私は断固としてそれを認めない。
_______________________________________(1)
確かに、私が若かった青春期において、現実世界の喜びや悲しみの方が思い出として色濃くかつ鮮明に保存されてはいるし、思い返してみれば、現実の人間関係に悩むことはあれども、画面上での人間関係について深く悩んだことはないので、 過去の自分は、皆が当然として思うように、ネットに内包する人間同士のコミュニティーを軽んじてたことを否定出来ない。
その上、現実社会を生きるのに、どうしても目先の人間との交流を優先する故、ネットから始まる人間関係は、現実世界で巻き起こる友情や恋愛、それに付随する苦心や歓喜に比べて、全く取るに足らない「どうでもいい」思い出のように思われる。
しかし、その取るに足らないような小さな思い出は、自分を含めたここにいる人たち全員の思い出として、確実に残っているのだ。 今は思い出せなくても、後に忘れてしまおうとも、同じ青春の道を歩き、同じものを愛し、心を許して交流していたという事実は変わり様がないものである。 もし仮に、君たちが私を忘れようとも、私は色んな場面で君たちを思い出すだろう。 とりわけ、私が死に際に立たされた時、今迄巡り合わせてきた様々な経験を振り返り、ここで行われてきた僅かな交流を、( )、若かりし頃の青い思い出の一部として、しっかり思い出すことが出来るだろう。 そして、君たちとの過去の交流を、初めて価値のあるものだと知ることになるのである。
問1/全文を英訳しなさい。
問2/ 筆者はなぜ下線部(1)のようなことを主張したのかを現実の交流と比較して、80文字以内で答えよ。
問3 /カッコ内に入る語句を選べ。
イ)確かに、生きるというのは苦痛であると同時に深淵でもあるのだが、
ロ)確かに、小さな小さな欠片のような思い出であるが、
ハ)確かに、あたかもそれが非現実的であろうとも、
二)確かに、思い出は白昼夢とそれと似てるが、
- このSNSで私と交流した皆は、ここで創り上げてきた画面上の意思疎通の数々の思い出を、充実した現実世界の思い出と比すると、全く取るに足らない小さな思い出であると一蹴することもあろう。