ともきさんとモバ友になろう!
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- 2019/2/6 3:23
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- 「死」について
私見だがヒトの死は2種類あると思う。一つは「肉体的な死」いわゆる寿命である。もう一つはいずれのヒトの記憶からも消え去ること、いわば「記憶の死」である。もし、そうであるならば時の権力者や金持ちが求めて止まなかった「不老不死」も説明がつく。
誰しも思い出の中の故人は壮健である。例え寝たきりの相手であっても、何かのはずみで「目を開いた」とか「笑った」とか、ともかく生の証を目撃したことが記憶される。人間は皆、嫌な思い出から消去する。(認知症の高齢者などは嫌な思い出を全て忘れ去り、楽しい思い出しか蘇らないから常にニヤニヤしている。だから別名を「多幸症」という。)どんな悪党についてでも悪行より万に一つの善行を記憶する。
今後、冷凍睡眠やら体の機械化、はたまたターミナルケアの発展などにより延命技術が凄まじく発達したとして「肉体の死」を遠くの未来に追いやったとしても「記憶の死」からはどうだろう?
自分を知らないヒトしかいない未来、「アナタのことは忘れない」と行ったヒトだってやがて死ぬ。名前を知られていても「何をしたヒトなのか」誰も知らない、つまり生きた証を建てられない事は容易に想像できる。では、どうするかである。
- 「死」について