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    • 2013/7/19 0:17
    • 慈悲(愛)
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    • 真の自分(真我)の探求で見落とされがちなのが、慈悲(愛)である。

      真我探求は簡単だ。

      だって、私は誰か、と問うてそれを掘り下げていけばいいのだから。

      身体か?否。
      名前か?否。
      地位か?否。
      名誉か?否。
      …削れ、削れ、アイデンティティをどんどん削っていけ~、ですむ。

      問題は、真我探求と同時に慈悲(愛)が必要だということ。ここでいう愛は、恋愛の愛や家族愛、友愛の愛とは違う。

      慈悲(愛)とは心を込める、気持ちを込めるということ。

      道元の曹洞宗にある典座がその一つの例だ。典座は料理をする係りである。ただその料理に肉は使えない。でも僧侶の栄養と体調管理をする必要もある(身体いずれ死すれども、悟りを開く前に死するならばその死はまた繰り返されねばならない)。そこで気持ちを込めて料理するわけであるが、食材選びから味付け盛り付けに至るまで細心の注意を払って毎度作る。

      この典座の心がけが慈悲(愛)の行ないへのヒントとなる。

      人間は何かをやっているとき、その物事に集中するのはまれでいつも未来や過去のどうでもいいことを考える。つまり今ここの状態ではなく、思考と行動が一致していない。そこに慈悲(愛)はない。

      大切なのは今、そう言葉で聞くことはあるが本当の意味を知り語るものも少ない。今そこにあるものに真心こめて打ち込むことが煩わしいまだ知らぬ未来とすでに過ぎ去り戻れない過去への無慈悲な想念を打ち消すことになる。だから今ここが大切なのである。そしてそれこそ慈悲(愛)へと帰着する行為なのである。

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