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    • 2010/8/4 1:44
    • 美について
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    • 美の完成は動物性の排除であるが、そのような美が情熱的に望まれているのは、美において所有することが動物的な汚れをもたらすからではなのであろう。

      人は美を汚すがために美を望んでいる。美そのもののためではなく、美を汚しているという確信の中で味わえる喜びのために美を望む。

      生殖は存在の単一性の状態を乱し、過剰は限界を覆して何らかの仕方で横溢のに達する。常に限界は与えられていて存在はこの限界に合意している。限界がなくなるかもしれない不安はその限界を超出したいとする私たちの内部に刻まれた意志なのであろう。

      また、肉体の結合においての人間の美は、極めて清浄な人間性と性器の醜悪な動物性の対立を引き起こす。
      レオナルド・ダ・ヴィンチも言うように『性愛行為とそれに用いられる器官はまったく醜くて、その醜くたるさや、もしも顔の美しさ、当人たちの装飾、抑制されない躍動がなかったならば、自然は人間性を失ってしまうと思えるほどだ』 とも言っているように、重要なのは汚すことなのである。一般に女の美が性行為の動物性を先立たせ、人を不快にするという事情は変えはしない。

      エロティズムの本質は汚すことであり、禁止を意味する人間性は、エロティズムにおいて侵犯され、冒涜され、汚される…

      美に関してどれも同じ意味で、もちろん侵犯や暴力で語ることもできるだろう。なぜなら動物性は侵犯の意味を持っているからだ。

      最近は性欲について疑問を持つが、美はその補助をしてくれた。だが、真なる願いは私は性欲をもコントロールしたい。これは動物性を排除するのですか?
      という意味ではなく、克服とは、結局自愛に行き着く様々な感情を徹底的にくぐり抜けて達成されるものである。

      外科的、物理的に除去あるいは遠ざけあいるいは消去することは幼児の状態を再現することであり決して真の意味での欲望の克服ではなく、断じて道徳的ではないと考えるからである。

      克服とは言い過ぎかもしれない…それに人と欲を分離することはできない…エロティズムと人の矛盾…この矛盾に理解を得たい…

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