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    • 2013/3/25 16:42
    • 「赤い靴」の女の子
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    • 名は岩崎きみちゃん
      明治35年7月15日、静岡県旧不二見村(静岡市清水)で生まれました。
      きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情で母「岩崎かよ」に連れられて北海道に渡ります。

      母かよは再婚相手、夫の鈴木志郎と開拓農場(現北海道留寿都村)に入植しましたが、当時の想像を絶する厳しさから、やむなく3歳のきみちゃんを子供に恵まれないアメリカ人宣教師チャールズ・ヒュエット夫妻の養女に出す事を決意しました。

      かよと志郎は開拓農場で懸命に働きましたが、静岡から呼んだかよの弟「辰蔵」を過酷な労働の中で亡くし、又開拓小屋の火事など努力の甲斐なく失意のうちに札幌に引き上げました。

      その後札幌の新聞社へ入社した鈴木志郎は、同じ頃この新聞社に勤めていた「野口雨情」と出会います。
      雨情は生まれて直ぐに亡くなった我が子を嘆き、その後童謡「シャボン玉」の歌詞に思いを残した作詞家として名を残しています。

      同じ家族構成と云うこともあり、両家族が親しくなったある日、かよは片時も忘れた事のないきみちゃんへの思いを雨情に打ち明けました。

      我が子を手離して仕舞った後悔、そして新しい両親のもとで幸せになって欲しいという願いが交錯した母の心情に雨情は心を強く打たれ、我が子に寄せる愛情に感動した思いをそのまま詩に綴ったのが「赤い靴」です。

      かよは、亡くなる迄きみちゃんはアメリカに渡り、幸せに暮らしていると信じていました。…

      〔ところが〕
      ヒュエット夫妻が任務を終え帰国しようとした時、きみちゃんは不幸にも当時不治の病と言われた結核に冒されていました。衰弱がひどく長い船旅が出来ない事から、メソジスト系の鳥居坂教会の孤児院に預けられました。
      薄暗い部屋の中できみちゃんは病魔と懸命に闘い続けました。高熱にうなされ母の名を呼んだ事もあったでしょう。
      温かい母の胸にすがりたかった事でしょう。
      それも出来ぬまま一人寂しく9歳の生涯を閉じたのは明治44年9月15日の夜でした。
      かよがきみちゃんの悲運を知る事なくこの世を去った事がせめてもの救いでした。

      横浜山下公園には未だ見ぬ遠きアメリカを眺める「きみちゃん」の像が座っています。
      その健気(けなげ)なきみちゃんの頭をそっと撫でた時、涙が溢れ出たのは自分だけだったのでしょうか…

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