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- 2022/8/31 23:41
- ゴルバチョフ氏死去1
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- ■長崎
ゴルバチョフ氏は大統領だった1991年4月、夫妻で長崎市を訪ねた。「チェルノブイリでは多くの子どもたちが放射能に苦しんでいる。最初に苦労を背負ったのは日本人で、私は敬意を払っている。だからここに来た」と語った。
被爆者団体「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」議長の川野浩一さん(82)は当時、他の被爆者団体のメンバーと爆心地公園でゴルバチョフ氏を出迎えて握手した。氏は車を降りて市民の歓迎に応えたという。
川野さんは「(ゴルバチョフ夫妻を)待っている時に『歩いてこちらへ向かっている』と聞いて驚いたが、それぐらい気さくな人だった。大国の大統領とは思えない笑顔で、温かい人柄が伝わってきた」と振り返る。「もし失脚していなかったら、ロシアはウクライナを侵攻せず、核政策も変わっていたのではないか」と惜しんだ。【中里顕】
■シベリア抑留
ゴルバチョフ氏は91年4月に大統領として来日した際、日本政府と協定を結び、第二次世界大戦後にソ連が抑留した日本人の死者約3万8000人の名簿を提供した。6万人とされる「シベリア抑留」死者の身元確認が進むきっかけを作った。
抑留経験者で新潟県出身の村山常雄氏(2014年死去)は07年、ロシア語表記の「ゴルバチョフ名簿」をカタカナに変換した資料を手がかりに、3万2000人以上の正確な漢字表記を含む4万6300人の名簿を自費出版し、ウェブ上に公開した。村山氏は著書で、ゴルバチョフ氏について「問題解決の具体的展開に大きく貢献した」と評価する一方「自国の加害責任についての反省と謝罪はついに表明せず、遺族や関係者の間に大きな不満を残した」と記していた。
シベリア抑留者支援・記録センター(東京)の有光健・代表世話人(71)は「協定はロシア政府に引き継がれ、抑留問題を日露間で協力して調査する根拠になり、名簿持参とともに意義があった。31年たったが実態の解明も遺骨の収集も未解決のままで残念だ」と話した。【青島顕】
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