朝倉 四十七さんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2024/5/30 20:53
- コロナ禍で良くなったのに
-
- コメント(0)
- 閲覧(11)
-
-
- コロナ禍により、人々は従来の生活様式を大きく変えせざるを得なくなった。
そのほとんどは窮屈なモノだった。しかし、人それぞれだか大なり小なり「こっちのやり方の方が良いね」「どうして今までこうしてこなかったんだろう」というモノもあった。
そして、一部の様式はコロナ禍が過ぎた後も残ったが、一部の様式はコロナ禍前のモノに戻った。「なんで?あのやり方が良かったのに」と思う事が時々ある。
私が挙げるのは、レジでの釣り銭の受け渡しだ。コロナ禍前、多くの店舗では、店員サンがレジから出した釣り銭を手渡ししてきたが、コロナ禍になってからは支払いも釣り銭もトレーでの受け渡しとなった。
非接触という観点において、このやり方が有効だったのかは若干疑問だが、私はこのやり方が気に入った。
店員サンと手が触れるのがビミョーに嫌だったのだ。相手の容姿や性別に関係なく、手が触れる事に対して嬉しいとか有難いとかのプラスの感情は湧かなかった。丁寧な行為だともあまり思わない。
ある店で釣り銭の手渡しの際に、店員サンが手を握ってくる事があった。あちらに悪気は全くないわけだが、ちょっとマイナスな驚きを抱いてしまった。具体的には、引いた。
美人な店員サンなら手が触れて嬉しいとかそういう感情もあるが、そんなゲスな事を思ってしまう自分が嫌になる。
もうひとつ、釣り銭を数えられるという利点がある。
今の時代に釣り銭ミスは少ないと思うが…直接手渡しされて自分の手に乗った釣り銭はパッと見て金額がわからないし、改めて数える行為は、目前の店員サンを疑っている様で出来なかった。トレーなら、釣り銭を拾いながら数えられる。
トレーでの受け渡しは、本来は衛生面での施策だか、精神的に助かったのだ。
ところがコロナ禍が終わると、元の様式になった。多くの店舗で手渡しに戻ってしまったのだ。それは、トレーではなく手渡しの方が合理的に、或いは感情的に優れているからだという証左だとは思うが…
時間短縮とか丁寧さなどが想像できるが、手渡しという行為がそれらにそれほど貢献してるとも思えない。それらを差し引いても、私はトレーでの受け渡しが良かった。
人々は、手渡しのどこに利点を見い出したのだろうか?
- コロナ禍により、人々は従来の生活様式を大きく変えせざるを得なくなった。