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- 2018/12/15 7:23
- 大久保利通文書と日記34-14 参考12
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- 文久2年 1862 33歳
【大久保利通文書】から
●【参考】19
本田親雄より税所篤への書翰
(明治31年1月19日)
【本文の続き】
語り畢て歎息一聲、此事たる眞に秘中の秘なり、
言もし外に漏なは萬事きゅうすへし。
前後の事情を洞察して深く心に納め置給へと云々
物語りして別れたり。
(此一言、予心に銘して明治十一年、大久保候の
薨するまて口に登せさりし)
去程に南洲翁は、如何にして、いつこにありやと
種々探る中に安治川口にありとの事に、数百艘
繋きたる小舟ともをさかし求るに、夜初、
更に至りて求得て、飛び入れ見れは、翁は船中に
平坐し居たり。
村田、森山も側に在り、如何々々々々と安否を
尋ねしに、翁は勤王道楽のなれの果也、と
呵々と大口開ひて笑ふ輿力、兒玉某、足軽召列れて
添居たり。
やかて加藤十兵衛、尋ね来れり。
甲東、また来れり。
暫くして奈良原喜左衛門、海江田武次、来り。
監守の任を命せられたり、といふ。
かく人々集へたれは、小舟の中所せくまてこみ合ひ
兒玉を諭して大川を出帆まての間、陸に上り、
とある離れの亭を借りて、人々、終夜、
物語ぬ。
(意訳)
(*宿泊所の主人は、密かに) 語り終えて、
ため息をひとつ。
「このことは、真に秘中の秘であり、(*もし)
言って外に漏れれば、万事休すである。
前後の事情を洞察して深く心に納め置いて
下さい、」等々と、(*私・本田親雄は)そう
語って(*宿泊所の主人)と別れた。
(この一言は、私(*本田親雄)は、心に銘じて
明治11年、大久保(*利通)候が亡くなられる
まで、口に登らせたことはない。)
去程に(さるほどに・*やがて)南洲翁
(*西郷隆盛)は、どのようにして、どこに
居るのかと、いろいろ探ると、
安治川(*あじがわ・旧・淀川の名称のひとつ)
口に居るとのことで、数百隻が繋いである小舟を
探してみると、夜の初め、さらに更けて、
知ることが出来て飛び入れてみれば、
翁(*西郷隆盛)は、船中で平坐して居た。
村田(*新八)、森山(*新蔵)、も側にいて、
どうしました、どうしました、と安否を
尋ねると、翁(*西郷隆盛)は、
「勤王道楽のなれの果てである」と、
「あはは」と大きな口を開いて笑う余力、
児玉某(*なにがし)が足軽を召し連れて
側にいた。
やかて加藤十兵衛が、訪ねて来た。
甲東(*大久保利通)も、また来た。
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- 文久2年 1862 33歳