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- 2018/12/14 6:57
- 大久保利通文書と日記34-14 参考11
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- 文久2年 1862 33歳
【大久保利通文書】から
●【参考】19
本田親雄より税所篤への書翰
(明治31年1月19日)
【本文の続き】
今にして吾等二人とも?刺して死せは、天下の
大事去らん。
かくまてに推し進み来れる令の畫策は、誰か
之を継紹すへき男兒、忍耐事に當るは、
此時ならすや。
吾人二人なくしては、皇室を如何んかすへき。
國を如何んかすへき。
辱を忍ひ事に耐るは、只此時也。
勉むへし々々々々と、懇ろに説くを聞て予も
深く、此言を信し決心を翻せりと。
両雄は天下の大事を其雙肩に擔ひて、深く
自ら任したる志意の高尚にして気宇宏廊なる
大謀偉略、眞に廟廊の器にして、人中の龍とも
稱すへし。
両雄の死地に就くと出しとは、
我帝業中興の存亡に無二の一大関門たりし事を
思へは、此一刹那の死活、其機は、間髪を容れす。
此時若し甲東の一言、南洲同意せは奈何。
爰に両雄を世に生かせしは、是れ天の王室を助け
帝國を興すの賜にあらすや。
眞に我皇祖皇考の神霊冥助の垂給ひしものに
非らすして何そや。
(意訳)
今になって我らが二人とも刺し違えて亡くなれば、
天下の大事は、去ることになる。
こうまでして推し進めてきた立派な計画は、
誰がその後を継承するのか。
男児、忍耐して、事に当たるのは、
この時ではないか。
我ら、二人なくしては、皇室をどうすべきか。
国をどうすべきか。
辱しめに耐えるのは、まさに、この時である。
励もう、励もう、・・・」
と、心を込めて説得するのと聞いて、
私(*大久保利通)も深く、この言葉を信じ、
(*刺し違えの)決心を翻(ひるがえ)した。』
と。(宿泊所の主人は、密かに答えた。)
両雄(*大久保利通と西郷隆盛)は、
天下の大事を、その両肩に担いで、深く自ら
込めた志が高尚で、気宇宏廊(*気がまえが
広く大きく)、大謀偉略(大きな立派な計画)は、
まことに、廟廊の器(*宰相 たる器量)で、
「人中の龍」(*多くの人の中でも、飛び抜けて
優れた才能がある人。)とも云えるものである。
両雄が死地に着くのと脱するのでは、
我が国の中興の存亡の、かつてない一大関門で
ある事を思えば、この一瞬の死活、その機会は、
間髪を入れないものであった。
この時、もし大久保利通の一言を、西郷隆盛が
同意していれば、どうであろうか。
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- 文久2年 1862 33歳