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- 2018/12/12 7:32
- 大久保利通文書と日記34-14 参考9
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- 文久2年 1862 33歳
【大久保利通文書】から
●【参考】19
本田親雄より税所篤への書翰
(明治31年1月19日)
【本文の続き】
即時、甲東の旅寓を訪ふて、西郷翁の馳せ下りし
所謂をいふに主人、竊に答へ告けて曰く、
去れは其事也。
過きし夜、兵庫なる公の御旅館に西郷来りて、
長井建白の事に付、拝謁の為に参上せりと、
其趣意は云々也と説き終るを待たす
予(甲東)は、此處大事を談する得す、外と
出てんと両人、月夜濱邊の人遠き物陰の砂上に
對座して、甲東、伏見より帰り、兄(南洲)か
浪士鎮撫の始末、其心事のある處を詳に公に
言上せしも、公の震碇の意志、翻すへくも見へす。
甲東の帰らさる前、既に小監察 喜入某に足軽
數人を附して、兄を捕縛の命は降りたりと聞く。
拝謁の願おきはさて置きつ、かゝる境遇に
落入たれは、予も君側を退けらるゝの状況あり。
多年、盡瘁せし大計書も爰に至ては、書餅水泡に
帰せしは是非もなし。
之れ天命也。
(意訳)
(*後)すぐに、甲東(*大久保利通)の宿泊所を
訪ねて、西郷 (*隆盛) 翁が、下られる謂れ(*理由)
を言うと、主人は密かに答えて云うには、
「そのことなのです。」と。
(*以下の文章は長文で、『 』の区切りです。)
『過きし夜に、兵庫におられる(*島津久光)公の
ご旅館に西郷(*隆盛)が来て、
「長井(*雅楽)の建白の事について拝謁の為に
参上しました。
その趣意はこれこれであります。」と
説明し終るのを待たずに、
大久保利通は、
「ここでは大事を相談することは出来ない。
外に出よう」と、
両人は、月夜の浜辺の人がいない物陰の砂の上で
対座して、大久保利通が伏見から帰って来て、
西郷隆盛が浪士を鎮める顛末の、その心配事が
あるところを詳細に(*島津久光) 公に言上したが、
(*島津久光) 公の震える怒りの意志は、
覆(くつが)える様子も見えなかった。
私(*大久保利通)が(*久光公の宿泊所に)
帰って来る前に、
すでに小監察・喜入某(なにがし)が足軽の
数人を連れて、兄(*西郷隆盛)の捕縛の命が
降りた、と聞いた。
拝謁の願いは横に置いても、このような境遇に
落ち入れば、予(*私・大久保利通)も
君(*久光公)の側を退けられる状況である。
多年にわたり苦労し尽くした計画書も、
ここに至っては、絵に描いた餅で、
水泡に帰すのは、致し方のないことである。
これは天命である。
- 文久2年 1862 33歳