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    • 2018/12/10 6:56
    • 防長回天史を読む112 第12章 毛利氏の兵備3
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    • ●第十一章 毛利氏の兵備(其三)神器陣時代


      故に、ただ火砲を砲車に装置することが出来ない
      だけでなく、その砲台さえ、(*砲車に)
      上げることが、出来なかった。
      (*森重)会門の独輪車を行軍砲に用いるべきと
      する理由はなく、装置が全く終わることになり、
      これ(*砲車を)を引いて、赤坂川の丁場に行き、
      20匁玉筒を3発、30匁玉筒を2発、
      100匁玉筒を3発、300匁玉筒を5発を試射して、
      初めて小口経の筒は、その効力が極めて微である
      ことを発見した。
      ここにおいてか、操練の大砲を200および
      300匁玉筒と定めたが、この試験によっては、
      (*森重)会門の独輪車を行軍砲に用いなければ
      なりない理由はなく、装置が全く終わることになり、
      これ(*砲車を)を引いて、赤坂川の丁場に行き、
      20匁玉筒を3発、30匁玉筒を2発、
      100匁玉筒を3発、300匁玉筒を5発を試射した。
      (*そして)初めて小口経の筒は、その効力が
      極めて微であることを発見した。
      ここにおいてか、(*藩は、)(*飯田)七郎右衛門を
      三田尻を出発して萩に行かせて、三田尻水軍に
      海路、周発台を萩城下に運搬させて、明年
      (*文化14年)、2月9日、(*萩湾の)浜崎に
      達する。

      (*後)(*森重)会門は、また、ますます心を
      独輪車の構造の改善に注ぎ、度々、その運転を
      試み、砂地を通過するのに際し、特に困難を
      覚えた。
      以来、その長さを断じ、量を減少し、これを
      菊ヶ浜に試みるが、なお成果はなかった。
      (*後)村田(*正風)ら、すなわち、勧めて、
      砲を大八車に載せて、三度、これを
      川上・立野に試みる。
      (*結果)また、前日に比較出来ず、よって、
      さらに車輪に改善を加えることを命じて、
      (*これを)犇(*ひしめき)雷車と云う。
      初め、神器陣で操練の議論があったが、
      まず、予行の射撃場を設けようとして、
      (*文化)13年初冬に起工して14年正月
      に至り、竣工の場は(*森重)会門の邸内
      であった。

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