真田幸村さんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2011/8/11 13:08
- 箕輪城
-
- コメント(0)
- 閲覧(8)
-
-
- 続いて箕輪城に行きました。
箕輪城は長野業尚によって築かれたとされています。長野氏は在原業平の子孫と言われてます。
長野業正の時に最盛期を迎え、関東管領山内上杉氏の重鎮として、上杉憲政を助けます。
業正は武田信玄の侵攻をことごとく跳ね返し、近隣の小豪族を束ねて名君と謳われていました。
業正が没すると子の業盛が家督を継ぐが、業正は死の間際、「我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。これこそ孝徳と心得るべし」と伝えたそうです。自分の息子になかなか言える言葉ではないですよね
しかし、信玄の調略と侵攻により次第に箕輪城は孤立していき、落城し業盛は自刃します。
内藤氏、滝川氏、北条氏の時代を経て井伊氏が治めるも高崎に移り廃城となります。
遺構はよく残っており、石垣、曲輪、堀切などが見れます
- 続いて箕輪城に行きました。