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- 2007/10/2 4:25
- カンディード
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- 「お説ごもっともです しかし ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
(カンディード…波瀾万丈の生涯ののち 隠遁し静かに慎ましい農耕生活に余生を過ごす…ヴォルテールの小説の主人公)
しかし わたしの庭とはいったい何でしょう
ある人は全世界を耕していると言うかもまた別の人は自分の家をすら持て余してるかもしれない
お腹がすいてると言って腹を立ててる人もいればソマリアの内戦や飢餓で大勢の人が死んでるのを嘆いている人もいる…
外部の変化が自分に何の関わりがあるのかな
しかし どんな絆であってもそれは始めから与えられているわけではない耕して関わることによって初めて「私の」庭になるのかもしれない
自分を自分の中に閉じ込めるならその無気力な存在は外界から切り離されている
口先で嘯きながら 対象物の外面的な関係に甘んじて 何の危険もなしに 自分のものでないものを奪うことによって 自分の庭を全世界に広げても 空虚な言い種に思える…
私のものであるのは まず自分のすることであるのかもしれません
「では わたしの隣人とはだれですか」と弟子達が尋ねた時 キリストはいちいち名を挙げて答えたのでなく サマリア人の例えを語りました 見ず知らずの行き倒れの男を助けたサマリア人が その男の隣人でした
結局 人は誰の隣人でもなくて 行いにより他人から隣人を作る といったところでしょうか
ですから 限界があります芸術の世界・政治の世界・経済の世界・宗教の世界・スポーツの世界…いろいろ足を踏み込んだとしても 自分の生活の単一性がそれぞれ異なった生活の瞬間を全部一括してしまいます
こんな限界など 周りを取り囲む無限から比べれば大したことではないのだから 庭をできる限り小さくすることが人間の知恵なんでしょうかね…
「わたしの土地はわずか…にすぎません その土地を子どもたちと耕しております 労働はわたしたちから三つの大きな不幸 つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」(カンディードに語ったトルコ人の言葉)
- 「お説ごもっともです しかし ぼくたちの庭を耕さなければなりません」