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- 2013/1/19 23:28
- 何か形に残したくて…
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- どんな形でもいいから、何か形に残したくてここに書きます。
母が私を産んだのは26の頃。それから33年、母は今年の誕生日でちょうど60になる。
本当に料理が上手で、親戚が集まる席では必ずと言っていい程母が台所を仕切っていた。そんな母に育てれたおかげで小さい頃から外食も殆んどせず、手料理を食べる事が多かったのは本当に感謝したい。
母は6人兄弟の4番目で姉と妹の女兄弟が母を含め4人居た。かしましい姉妹で集まっては甲高い声で世間話をしていたものだ。
そんな母に異変が見られるようになったのは今から3年程前の事。再婚した夫と働く整備工場で事務職をしていたが、今まで出来ていたPCでのキーボード入力に出来ない事があってサービスマンを呼ぶ事が増えたり、通常30分程で着く道のりに2~3時間かかったり…
その、何度も呼ばれたサービスマンの助言で姉が母を病院へ
何箇所かの病院を周り、ようやく出た診断結果は「ヤコブ病の疑いあり」というもの
ヤコブ病とは、簡単に言えば深刻な認知症。普通の認知症よりかなり早い速度で進行し、やがて死に至る。
狂牛病の人間版という事らしい…
確かに、恐ろしい速度で認知症は進行した。半年が経った頃には自分で歩いたりお風呂に入る事も出来なくなっていた。そこから更に2ヶ月が経った頃には入院を余儀無くされる。正直、入院してから半年、長くても1年は持たないだろうと思っていた。
しかし、母は母なりに頑張ったのだろう。病院スタッフの看病のおかげもあり、自らの干支である巳年を迎える事が出来た。
そして、1/17日の昼にその生涯に幕をおろした。
「お疲れ様でした。」と心から思う。告別式には数百人の方がお焼香をあげにきて下さった。遺族としても感謝の心でいっぱいだ。
59年と4ヶ月。短いかも知れないが充実した人生だったのではないか。
もっと親孝行してやればよかった。もっと色んな料理を教わればよかった。もっと沢山話したかった。悔いは尽きない。
おかぁ、さよなら。またいつか逢えるその日まで…
あなたが亡くなった日の翌朝に出た虹は、最期の挨拶だったのですか?考え過ぎだよね(笑)
- どんな形でもいいから、何か形に残したくてここに書きます。