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- 2016/10/15 3:42
- 「中国」が「シナ」である理由 9
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- しかし日本と清の関係は悪化しませんでした。清の故国である満州は、日清戦争の後ロシアに占領されていましたが、日本は1904年の日露戦争を戦ってロシアを追い出し、清の手に取り戻しました。
さらに日本は満州の地にインフラを築き、治安を守り、産業を発展させました。この頃からおびただしい数のシナ人が満州に移住してきました。
一方清は、日本の明治維新を手本にして強力な立憲君主制の国になろうとして、大量の留学生を日本に送りました。今日のシナで社会科学分野の語彙の7割が、日本起源と言われるのはそのためです。
・シナの独立と乗っ取り
当時シナ人は、清の中で満州人の支配下にありましたが、日本への留学生らを中心として民族独立運動が起こり、辛亥革命(1911)によって独立を勝ち取りました。
ところが彼らは、中華民国を建国(1912)すると「五族共和」という事を言い始め、清の支配領域すべてを引き継ぐと宣言しました。
下の地図(『「日本と中国」歴史の真実』拳骨拓史著 より引用 された図ですが掲載出来ませんでした。漢族・満州族・ウイグル族・チベット族・モンゴル族の5族の、清代の民族分布図)は清の支配領域の全体を表したものです。
いわゆるシナとは「漢族」と書かれた領域のことです。清の領土を引き継ぐという事は、シナ人の領土だけではなく、満州、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土すべてを自分の支配領域にするということです。
辛亥革命は元々シナ人の民族独立運動だったはずなのに、いつのまにか、シナ人による他民族の支配という別の目的に切り替わっていたのでした。
例えて言うと、強盗団に捕まっていた人質の一人が、自由の身になったとたんに 「強盗団の財宝も人質もすべてを自分のものだ」と主張し始めたようなものです。
- しかし日本と清の関係は悪化しませんでした。清の故国である満州は、日清戦争の後ロシアに占領されていましたが、日本は1904年の日露戦争を戦ってロシアを追い出し、清の手に取り戻しました。