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- 2016/10/15 3:40
- 「中国」が「シナ」である理由 8
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- これは一つの中国を前提とする、シナ人の中華秩序を否定するものでした。隋の煬帝は不本意ながらも、この国書を受け入れています。それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って来たわけです。
この新しい秩序を受け入れなかったのは、シナよりもむしろシナの属国の朝鮮でした。
明治時代に日本が朝鮮に修好を申し入れた時も、国書に「皇」の字が使われていると言って拒否しました。
今でも朝鮮人などが、天皇という呼称を嫌って「日王」などと言うのは、この「二つの中国」という世界観を認めたくないからです。
日本国内にも、執拗に聖徳太子の存在を否定し、大和朝廷を「ヤマト王権」と言い換えたがる勢力がありますが、まったく同じ発想です。
「朝廷」は天子が政治を行う場。「王」は皇帝の臣下であることを思い出して下さい。「大和」を「ヤマト」に置き換えるのは「大」が敬称だからです。
・シナを「中国」と呼ぶことは日本の基本的立場に反する
さて今日の私達は当たり前のように、シナを「中国」と呼んでいますが、それは「中国」が「中華人民共和国」の略称だと思っているからです。
しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立なさった「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくするものです。
日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと呼ぶのでしょうか。
これがシナを「中国」と呼んではいけない 二つ目の理由 です。
朝鮮人やベトナム人がシナを「中国」と呼ぶのは、臣下の国としての長い歴史を反映したものなので問題ありません。
日本人がそう呼んではいけないのは、日本の歴史を反映していないからです。私達は敗戦と共に、そういう間違った呼称を巧妙に押し付けられたということです。
本を正せば「中国」の意味や、聖徳太子の国書の意味を教えない学校教育に根本的な問題があります。
5.なぜ日本人にシナと呼ばれると都合が悪いのか
・打ち砕かれた古い中華秩序
さて19世紀末、日本は日清戦争(1894-1895)で清国を破り、清の属国であった朝鮮を独立させました。
中国王朝を名乗る清が、もう一つの中国・日本に屈伏し、属国を独立させられたことは、古い中華秩序が打ち砕かれた象徴的な出来事と言えるでしょう。
- これは一つの中国を前提とする、シナ人の中華秩序を否定するものでした。隋の煬帝は不本意ながらも、この国書を受け入れています。それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って来たわけです。