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    • 2016/10/15 3:38
    • 「中国」が「シナ」である理由 7
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    •  皇帝は天子の別称で「皇」の字は天子にのみ許されるとされました。皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な異民族をも臣下の国として従え、その国の長に「王」の称号を授けました。
       王は皇帝に忠誠を誓い「中国」に貢ぎ物を納めました。これがいわゆる「中華秩序」です。だから「中国」は尊称でもあります。
       シナの皇帝は自国を「中国」と尊称で呼び、臣下の国にも「中国」と呼ばせました。 だからシナの忠実な臣下である朝鮮などは、シナを「中国」と呼びました。
       
       つまり 他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならないという事です。これに似た働きをする言葉には「ご主人様」や「親分」などがあります。
       
       ある人を「ご主人様」と呼ぶ人は、その人の召使いであることは明らかです。ある人を「親分」と呼ぶ人は、その人の子分に違いないでしょう。

      ・新たな秩序を持ち込んだもう一つの中国

       ところが7世紀の始め、シナの前にもう一つの大国が現れました。その国もまた自国を中国と呼びました。下に示すのは、その国から送られてきた国書の一節です。

      『日出づる処の 天子が、日没する処の 天子に手紙を送る。
      (日出處天子致書日沒處天子)』
       天子が二人になっています。
       続いて送られて来た二通目の国書は次のようなものでした。

      『東の 天皇が謹んで西の 皇帝に申し上げます。
      (東天皇敬白西皇帝)』

       天子にしか許されないはずの「皇」を名に持つ元首が二人います。 言うまでもなくこれは、日本がシナに送った国書です。

       共に聖徳太子の手によるものとされていて、 前者はシナの歴史書『隋書』に、後者は日本の歴史書『日本書紀』に記録されています。

       上に示した中華思想の世界観を理解していれば、この二つの国書が提示しているものが、共に 「二つの中国」という新しい世界観であることがお分かりでしょう。

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