柴犬ペスさんとモバ友になろう!
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- 2011/4/5 7:28
- あなた(私)は私(あなた)の一生モノ
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私が子供の頃から愛読しているアンデルセンの童話集に「臨終の子」という詩があります。
病に冒された幼い子供が傍らで泣いている母親に優しく語りかけながらもやがて永遠の眠りにつく…という悲しい詩。
その詩の中で、子供はこう言って母親を慰めています。
「お母さん泣かないで。ぼく、ずっとあなたのものですよ!」
アンデルセンは敬虔なクリスチャンですが、私は宗教を信じておりません。
いえ、正確には宗教がそれぞれに語る「死後の世界」というものを全く信じられないのです。
だって都合良過ぎじゃないですか。悪人は地獄できっちり裁かれる、貧乏してても優しい気持ちを忘れずにいれば天国へ行ける。
死んでも魂は残るから自分は自分として存在できる。いや、死んだら別モンに転生する。
人を殺めたら地獄行きだから戦争してはいけない。いやいや、生きる権利を求めて戦うなら聖戦だ。
これらは全て誰かが不安や不満を抑え込むため、幸せのために常に誰かを犠牲にして生きるのを正当化するため…要は生きている人たちの為だけに作られたモンであるのは、いい加減誰にでも解りそうなものですよ。
で、結局死んだらどこへ行くのかですが。
多分どこへも行きません。行くとか行かない以前に、なんにも無くなるんじゃないかと。生まれる前の記憶が誰にもないように、死んだ後も。
そして、月並みな言い方ですが「残された人たちの心の中にいる」んじゃないでしょうか。
神にも誰にも支配されず、自分というものは何もかも消える。
ただ、自分を愛してくれた人、知ってくれた人の記憶の中だけにいる。生きた証だけがそこに残る。
その人たちだけのものになる。
アンデルセンの「臨終の子」は最後に天使にキスをされます。
その天使は本当に存在するのか、それとも子供の信仰に基づいて現れた幻なのかは判りませんが、それでも子供は「僕はお母さんのもの」だと言い切るのです。恐らくは、神の支配をも無意識に振り払って。
残される側は辛いけど、残す人だって思っているのです。「死んでしまっても、あなたと共にいたい」と。あなたのものでありたいと。
死んだ人の分まで生きるというのは多分そういう事なんだと思っています。愛する人の記憶を胸に、一生懸命生きること。
まぁ、結局これも私が望む「宗教」なのかもしれませんが…。