まーくん(嘘)さんとモバ友になろう!
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- 2013/6/8 2:44
- 安定不、不安定
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- 精神力の限界があるとするならば、それはきっと自分では知ることができないのだろう。
なぜなら、限界が来た時点でもう自分という存在は壊れてしまっているに等しいからだ。
そして、壊れてしまっているものに対して限界などない。
よって、その時点で終わってしまうのだ。
ところで、終わり良ければすべて良し、という言葉があるが、それは終わりが良くなければ意味がない。
逆に言えば、終わりが悪かったら全てが悪くなってしまうこともあるのだ。
と、ここまで来て何が言いたいのかということなのだが、別に特にない。
強いて言うなら、どう終わりを、決着を、決別を、迎え、つけ、するかという話なわけだが。
と言っても特に深刻な話題でもなく、と言ったら軽く聞こえてしまうのだが、例え僕がとても悩んでいる一件があったとしても、それはこの世界と社会には何の関係もなくて、言ってしまえばどうでもいいわけで。
他人から見ればどうでもいいことで悩んでる自分がアホみたいに見えてくるわけで。
と言って、別に深い闇を抱えてるわけでもなく。
ただ必死に適当に毎日を生きているわけで。
さて、こんだけグダグダと分かりづらい文章を書いてきたわけだが、
実際こんなことすらもどうでもいい戯言なわけで。
僕が本当に言いたいことは、もっとたくさんありますわけで。
僕はいい人じゃないし、メンタル強くないし、寂しがり屋の構ってちゃんだし、ヤンデレメンヘラ気質だし、頭もよくないし、特に何ができるわけでもないし、イケメンでもないし、不完全として完全体、とここまでは大げさだが、とかく、僕ってどう思われてんのってね。
人間、休憩って大事よね。
でも、休憩すると死んでしまう人間もいるのかもね。
マグロみたい。
動くのをやめてしまったら、死んでしまう生き物もいるんだよね。
なんで人間は休む必要があるのか、ってのは小学生でも答えられる質問かもしれないけど、果たして本当に必要あるのかな?
無駄なだけじゃない?
なんて、休むのが当たり前で、休まないなんて無理な話だよね。
皆さん、よろしければこれからも仲良くしてください
別にボロ雑巾のように捨てて頂いても、悲しむだけで実害はありませんのでご心配なく
ではでは
- 精神力の限界があるとするならば、それはきっと自分では知ることができないのだろう。